『さよなら絵梨』を読む

藤本タツキの漫画『さよなら絵梨』を読んだ。それについて書く。 映画という芸術分野は、何が嘘か何が本当かというテーマについて深い興味を抱いているものだ。それは例えばタランティーノの『イングロリアス・バスターズ』や『ワンス・アポン・ア・タイム・…

『城』を読む (後半)

前回に引き続き、カフカの『城』を解読していく。本稿では後半を扱う。本稿で示すページ番号は角川文庫の原田義人訳の『城』にもとづいている。 『城』は、前半が問題設定のパートだとすると、後半は問題解決のためのパートである。未完の小説なので、まとま…

『女のいない男たち』を読む

村上春樹の『女のいない男たち』について書く。 この本は短編集だが、互いに関連のある話が並んでいる。短編は明確な狙いのもとに順番が定められており、一本目の『ドライブマイカー』で穏やかなスタートを切って、五本目の『木野』でクライマックスを迎える…

『城』を読む (前半)

フランツ・カフカの『城』を原田義人の訳で二度読んだ。それについて書く。 前提 本稿は、カフカの『変身』と村上春樹の『かえるくん、東京を救う』、またカフカの『城』の原田義人訳、そして次の記事を読んだ者を対象にしている。 riktoh.hatenablog.com 読…

『外套』を読む

ゴーゴリの短編小説『外套』を岩波文庫の平井肇訳で読んだので、それについて書く。 物語の大枠 この小説は基本的にはリアリズムで書かれている。人物の外見や事物の描写は細かく的確であり、生活や仕事のことまで踏み込まれて書かれている。そのような文体…

『ゲンセンカン主人』を読む

つげ義春の短編漫画『ゲンセンカン主人』について書く。 この作品の物語にわかりやすい意味や論理といったものは存在しない。ともかくラストのコマの衝撃がすべてである。これはただ読者の心理にショックを与えることだけを狙いとして制作された漫画だと言っ…

『BECK』を読む

ハロルド作石の漫画『BECK』について書く。 『BECK』の中心的なテーマは、正と負の融和である。すなわち、うらぶれた物や汚い物、罪や影といった物と、きれいな物との融和である。それが細かい描写から小さなエピソード、物語の根幹にまでよく表されているの…

物語におけるエディプスコンプレックスについて

漫画『推しの子』を読んだ。面白かった。母親を溺愛する男の子が、母親を殺した主犯(と思われる)父親を探し出して復讐を企むという筋書きである。これは「父親を殺して母親を娶る」というエディプス王の話型を変形したものだと僕は受け取った。 映画・エヴァ…

『黒猫』と『アッシャー家の崩壊』を考える

僕はホラー物が好きでない。小説も漫画も映画もホラー物は鑑賞しない。怖いことを楽しいと思えないのと、どうもホラーは純然たるエンターテイメントでしかないという印象があって、興味が湧かないのである。 ポーの『黒猫』も『アッシャー家の崩壊』も初読は…

二つの道

物語の普遍的な構造の一つに二つの道というものがある。楽な道と困難な道の二つが主人公の前に示されており、主人公はどちらを選ぶか逡巡するというものだ。 それは通常、どちらが楽でどちらが困難なのか、そしてどちらが正しくてどちらが間違っているのかは…

『ドラゴンボール』の物語を考える2

前回の記事でピッコロ大魔王編を考察した。次はラディッツの襲来からフリーザとの闘いで終わるサイヤ人編について考える。 サイヤ人編では悟空の罪というものが強調される。このことは悟空が大人になったことと深い関連がある。一般的に言って大人になること…

『ドラゴンボール』の物語を考える

漫画『ドラゴンボール』の中心にあるものは、あらゆる願いを叶えるドラゴンボールという宝と、主人公の孫悟空である。彼の特徴は無欲なことだ。 「でもオラはべつに願いごとなんてねえから このじいちゃんの形見の四星球さえ手にはいりゃいいんだ!」 (単行…

『納屋を焼く』を読む

村上春樹の短編『納屋を焼く』について考察する。 普通に読むと、納屋を焼いたことが原因となって「彼女」が失われたように読者には思われる。それはたいそう不思議なことであり、親しい友人が失われてしまったことの衝撃が印象に残る作品となっている。 こ…

『ダブリナーズ』の構造を読み解く

前回の記事からの続きである。 基調とカウンター 年齢構成 テーマと結論 ストーリー構成を概観する 基調とカウンター 次のような大きな三つの力が作中で働いている。 金銭による取引は上手く行かない。あるいは下劣な結果となる。 男女関係は上手く行かない…

『ダブリナーズ』を概観する

ジョイスの『ダブリナーズ』を柳瀬尚紀訳で読んだので、それについて書く。 この小説の中心を貫く構造はソーントン・ワイルダーの戯曲『わが町』に似ている。そっくりと言っていい。事件性の少ない市民の生活の描写が物語の殆どを占めており、最後にそれを死…

村上春樹の文体の最大の特徴

『ノルウェイの森』以降の村上春樹の文体の最大の特徴は、文末に「である」または「であった」を置くことを避ける点にある。 「である」という断定は父性的である。それは「だ」という端的な、目の前にある事物を単にそのまま肯定するだけの断定とは在り方を…

『金閣寺』の物語について

幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。 『金閣寺』において父という存在は重要である。金閣寺の美について主人公に教え込むのは実の父親であり、それを表す文が最初に置かれているからだ。 作中に、父親的な登場人物や存在が多い。 実の父親 田山道…

『日はまた昇る』を読む

ヘミングウェイの『日はまた昇る』を高見浩訳で一度だけ読了した。 ともかく一度目の感想としては、まったく面白くなかった。名高い古典でこれほど退屈な読書体験は珍しい。一体作中で何が問題になっているのか、何を面白いと思えばいいのかさっぱり分からな…

『金閣寺』の文体について

三島由紀夫の『金閣寺』の文体について書く。 金閣寺の文体の特色として、文末が多彩なことが挙げられる。次に例を引用する。 寝ても覚めても、私は有為子の死をねがった。私の恥の立会人が、消え去ってくれることをねがった。証人さえいなかったら、地上か…

『二つの心臓の大きな川』を読む

ヘミングウェイの『二つの心臓の大きな川』を三回読んだ。それについて書く。 この作品は『日はまた昇る』同様にほとんど主人公の内面の描写に文章が割かれない。だが少ない心理描写に注目してみると、ニックはともかく森でのキャンプを謳歌しているようであ…

僕のやる夫スレ観

僕のやる夫スレ観は単純である。僕の書いた作品は面白いが、他の人が書いた作品はすべてつまらない。読むに値しない。それだけである。 何ヶ月かに一度、話題になるスレを開いてみてもいいと思うことがある。だが必ず20レス以内に読むことはやめてしまう。本…

ヱヴァンゲリヲン新劇場版を読み解く

これまで本ブログは二回に渡って『シン・エヴァンゲリオン』を読解してきた。本稿ではヱヴァンゲリヲン新劇場版を序から始めて最後まで読み解いていく。 一回目の記事 二回目の記事 エヴァンゲリオンは訳の分からない映画である。3作目のQから一体何がストー…

『ユニコーン』を読み解く

やる夫スレの作品に『ユニコーン』がある。これは完結した全てのやる夫スレの中ではもっとも面白いものだ。この物語は溢れんばかりの文学的な力を保持している。本稿ではこの『ユニコーン』を読み解いていく。 本作の中心的なエピソードは涼宮ハルヒから主人…

鉄道について考える

僕はVtuberの文野環ちゃんが大好きだ。そして文野環ちゃんは鉄道が大好きだ。それで僕も最近鉄道というものに興味を持ち始めた。好きにはなれそうにないのだが、知的好奇心を抱くことはできそうだ。そこで今回は鉄道というものについて、文学作品を中心に考…

『1Q84』を読む1: 繰り返される「ヤナーチェック」

『1Q84』の最初の青豆の章には、文庫版では24ページの中に「ヤナーチェック」という固有名詞が13回も登場する。この繰り返しについて本記事では解説をおこなう。 セルバンテスは『ドン・キホーテ』中の短編『愚かな物好きの話』において、小説の最も基本的な…

The VinesのGet Freeを読み解く

The VinesのGet Freeは優れた歌だ。この曲の歌詞のポイントは"I'm gonna get free"と"She never loved me"の繰り返しにある。 www.youtube.com ボーカルのクレイグ・ニコルズは一体何から自由になりたいのであろうか。おそらく彼は人類に普遍的なある牢獄か…

『ゲド戦記 影との戦い』を読む

『ゲド戦記 影との戦い』は傑出した文学である。それは感触として分かるのだが、僕はまだその全貌を掴み切れていない。理解できたという感じがしないのである。それでもいくつか分かったことがあるので、ここに書いてみることにする。 まず冒頭の「ことばは…

村上春樹の『ウィズ・ザ・ビートルズ』について

村上春樹の短編『ウィズ・ザ・ビートルズ』は、内容が優れていることはもちろんだが、何より見るべきなのはその文体である。それは読みやすさというものに全てを懸けた文章だ。彼がそのような文体を作る理由は簡単で、良い言い方をすれば平易な書き方をする…

『スワンの恋』を読む

プルーストは『失われた時を求めて』を書くに当たって、作中にいくつかの山場を設定した。大変長い物語を読むのは読者にとって苦痛であることを彼はよく承知していたので、彼らが最後まで興味を失わずに読み進められるよう、エンターテイナーとして盛り上が…

『天気』について

日本語の散文詩を色々読んできたが、その中で最も優れたものは西脇順三郎の『天気』だろう。 (覆された宝石)のやうな朝 何人か戸口にて誰かとさゝやく それは神の生誕の日。 この詩が一番であるということは直感で分かる。問題はなぜそうなるのかという理…