二つの道

物語の普遍的な構造の一つに二つの道というものがある。楽な道と困難な道の二つが主人公の前に示されており、主人公はどちらを選ぶか逡巡するというものだ。

それは通常、どちらが楽でどちらが困難なのか、そしてどちらが正しくてどちらが間違っているのかはっきりしている。無論楽な道の方が誤りであり、困難な道の方が正しいのである。しかしそれにも関わらず主人公は迷い、楽な道を選択する。

その結果何が起きるか。物語の前半は主人公にとって肯定的に、楽観的に進行する。彼は勝利する。しかしそれはあくまでも見せかけの勝利に過ぎない。

通常、第二幕の前半は主人公にとって「楽勝」の展開であるが、ミッドポイント (中間点) を境として、主人公は後半から急速に逆境へ転落する。そのようにして、上昇する主人公が一転して下降していくため、第二幕の前半と後半は正反対の展開となる。
(Wikipeadiaの三幕構成より)

楽な道の先にあるものは実は行き詰まりだったのである。彼は道を引き返し、困難な道を選択しなければならない。後半に入ると多くの物語が主人公の苦境を語るのは、このような理屈による。

具体的に作品を取り上げて説明しよう。三島由紀夫の『金閣寺』においては、戦争によって空襲に遭い、金閣寺という美の権化とともに死ぬのが主人公にとっては楽な道である。しかしそれは終戦というミッドポイントを通過して不可能なものとなる。彼は今度は自分の手によって金閣寺を焼き、しかも生き延びるという困難な道を選択することになる。

『失われた時を求めて』中の『スワンの恋』においては、主人公の前に示されているのは次の二つの道である。すなわちサロンで多くの人と親しく交わり、恋人と甘い生活を送るのが楽な道であり、芸術を研究するのが困難な道である。前半は望んだ通りに事が運ぶが、後半は一転してサロンの人たちはスワンに冷たくなり、恋人も浮気に走る。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版においては、主人公の前に開かれているのは父性の発展と母性の発展という二つの道である。主人公シンジは男性なので、父性を発展させるのは楽な道である。事実彼は父親に逆らうまでに人間性を成長させる。しかしそれは後半に入ると役に立たなくなる。この物語では母性こそが真に問われるべきもの、価値あるものだからだ。

このようにして中間点を通過すると多くの物語は暗い様相を見せ、主人公はどん底まで落ちて苦しむことになるが、最終的に彼は困難な道をも征服し、真の勝利を遂げる。溝口は金閣寺を焼いた上で自死をはねつけ生きることを決意し、スワンは小楽節の真価と芸術の神髄を理解し、シンジは父親を対話によって打倒して世界を再創造する。