『ノルウェイの森』以降の村上春樹の文体の最大の特徴は、文末に「である」または「であった」を置くことを避ける点にある。
「である」という断定は父性的である。それは「だ」という端的な、目の前にある事物を単にそのまま肯定するだけの断定とは在り方を異にしている。とても偉そうであり、反論を許そうとしない迫力がそこにはあるのだ。読んでいる側としては、何だか相手の鼻息まで間近に感じ取れるような気さえしてくる。
村上春樹はそのような剛直な力を読者に突きつけることを嫌った。それで彼は「である」を避けているのだ。
内田樹は自著の『もういちど村上春樹にご用心』において次のように書いている。
村上文学には「父」が登場しない。だから、村上文学は世界的になった。
長くなるのでこれ以上の引用は避けるが、内田樹の言説によれば、もうすでに父という聖なる天蓋は効力をなくしつつあると村上春樹は感じている。だから彼は父なしで善をなすためにはどうすればいいのかということを物語を通して探究しているのだ。
村上春樹は父性なしで小説を書こうとしている。その最も端的で具体的な表れが文末ではないだろうかと、僕は思っている。
調査
Kindleで村上春樹の長編小説のみを、『風の歌を聴け』から『騎士団長殺し』まで購入し、「である」および「であった」で文字列検索をかけて、「である」または「であった」が文末に来ているものを数えてみた。次にその結果を示す。ただし、別作品からの引用は対象から除いて数えた。村上春樹が作り上げた架空の週刊誌なども別作品として扱った。
- 風の歌を聴け - 23件
- 1973年のピンボール - 25件
- 羊をめぐる冒険 - 38件
- 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド - 55件
- ノルウェイの森 - 15件
- ダンス・ダンス・ダンス - 12件
- 国境の南、太陽の西 - 5件
- ねじまき鳥クロニクル - 10件
- スプートニクの恋人 - 2件
- 海辺のカフカ - 2件
- アフターダーク - 10件
- 1Q84 - 20件
- 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 - 0件
- 騎士団長殺し - 4件
以下に全引用を掲げる。
風の歌を聴け - 23件(別作品からの引用を含めると25件)
- 僕にとって文章を書くのはひどく苦痛な作業である。
- 文明とは伝達である。
- 『優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に 発揮していくことができる、そういったものである。』(別作品からの引用)
- 文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。
- 机の上にばらまいておいた僅かばかりの小銭と、カートン・ボックス 入りの煙草、それに洗いたての僕のTシャツである。
- 『わたしの正義はあまりにあまねきため、先日捕えられた十六名はひとが手をくだす のを待たず、まずみずからくびれてしまったほどである。』(別作品からの引用)
- 全ての物事を数値に置き換えずにはいられないという癖である。
- 鼠の好物は焼きたてのホット・ケーキである。
- 僕が生まれ、育ち、そして初めて女の子と寝た街である。
- この数字は僕の好い加減な想像ではなく、市役所の統計課が年度末にきちんと発表 したものである。
- 彼が一番気に入っ ていた小説は「フランダースの犬」である。
- それは火星の地表に無数に掘られた底なしの井戸に潜った青年の話である。
- 井戸だけである。
- 「惜しまずに与えるものは、常に与えられるものである。」
- 銃と猫と母親の焼いたクッキーである。
- 高射砲と対戦車砲以外は全てである。
- 僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少くともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。
- 不幸なことにハートフィールド自身は全ての意味で不毛な作家であった。
- 僕が絶版になったままのハートフィールドの最初の一冊を偶然手に入れたのは股の間にひどい皮膚病を抱えていた中学三年生の夏休みであった。
- そしてそれは、そうでもしなければ生き残れないくらい退屈な夏であった。
- 不思議なことに、鼠の家で最も家庭らしい雰囲気を備えているのがこのガレージであった。
- デレク・ハートフィールドは、その厖大な作品の量にもかかわらず人生や夢や愛について直接語ることの極めて稀な作家であった。
- トルストイの「戦争と平和」については彼は常々批判的であった。
- 彼の五作目の短編が「ウェアード・テールズ」に売れたのは1930年で、稿料は20ドルであった。
- ニューヨークから巨大な棺桶のようなグレイハウンド・バスに乗り、オハイオ州のその小さな町に着いたのは朝の7時であった。
1973年のピンボール - 25件
- もっともピンボールの史上第一号機が一九三四年にこの人物の手によってテクノロジーの黄金の雲の間からこの穢れ多き地上にもたらされたというのはひとつの歴史的事実である。
- 僅かに物好きな読者のために書かれた物好きな専門書の第一ページめにその名を留めるのみである。
- これはピンボールについての小説である。
- 双子であるという状況がどのようなものであるのかは僕の想像力を遥かに越えた問題である。
- 考えるに付け加えることは何もない、というのが我々の如きランクにおける翻訳の優れた点である。
- 彼女たちが着ているトレーナー・シャツである。
- ひとつは「208」、もうひとつは「209」である。
- 潮の香りも風の色も、全てが驚くばかりに鮮明である。
- 実に不気味な沈黙である。
- 新聞の一面に載っている性別年齢別の内閣支持率のグラフのような形である。
- いつもどおりの昼休みである。
- それはまったくのところ、労多くして得るところの少ない作業であった。
- 二人は僕の両肩に鼻先をつけて気持良さそうに寝入っていた。よく晴れた日曜日の朝であった。
- 彼女が移り住んだ家は朝鮮戦争の頃に建てられた洋館づくりの二階家であった。
- 一九六一年に直子の一家がこの土地に移り住むことになったのは父親の一存によるものであった。
- 午後の日だまりのように平和な日々であった。
- それが僕の一九七〇年代におけるライフ・スタイルであった。
- 羽をもがれた冬の蠅のように、海を前にした河の流れのように鼠は無力であり、孤独であった。
- それは畏れにも似た震えであった。
- それでも灯台への道は彼にとって何にも増して親しいものであった。
- もし人間が本当に弁証法的に自らを高めるべく作られた生物であるとすれば、その年もやはり教訓の年であった。
- 僕にとってもそれは孤独な季節であった。
- 抑揚の少ない、把みどころのない声であった。
- 男を愛し、子供を産み、年老いて死んでいく一個の存在の持つ重みであった。
- それは僕がコダックのポケット・カメラで撮った唯一の心暖まる写真であった。
羊をめぐる冒険 - 38件
- 我々は鯨ではない──これは僕の性生活にとって、ひとつの重大なテーゼである。
- それは(大方の対立する見解がそうであるように)ふたつの違った名前で呼ばれる同一の料理のようなものである。
- わりにこざっぱりとしているが、それなりに苦労もしてきたといったタイプの乳牛である。
- 考え方の違う宇宙に放り込まれていちばん困ることは話が長くなることである。
- 「思想の相反性」とでもいうべきものである。
- これが初代のジェイズ・バーである。
- さして大きくはないがエレベーターまでついた新しい四階建てのビルの三階である。
- いるかホテルは経営的に成功したホテルとは言い難いようである。
- 羊博士は一人で馬に乗ってぶらりと緬羊視察に出かけたまま行方不明になってしまったのである。
- 彼が羊とのあいだに「特殊な関係を持った」という噂である。
- 以下はそのやりとりである。
- 資料の目録を作ったり、書棚の整理をしたりするような仕事である。
- 十二滝町というのは羊博士の牧場のある町である。
- 発行は昭和四十五年五月、もちろん初版である。
- 札幌から七日間、約一四〇キロの旅である。
- 彼らは実は全員が多額の借金を踏み倒して夜逃げ同然に故郷の村を出てきたので、人目につきやすい平野部は極力避けねばならなかったのである。
- 明治十三年七月八日、札幌から道のりにして二六〇キロの地点である。
- しかしもちろんこれはずっと先の話である。
- しかしもし彼がいなかったら、開拓民たちが無事にその冬を越せたかどうかは極めて疑問である。
- 彼はもう「月の満ち欠け」ではなくなったのである。
- 明治二十一年、戸籍調査が行われ、役人によって部落が十二滝部落と名付けられたのと同じ年である。
- 来るべき大陸進出に備えて防寒用羊毛の自給を目指す軍部が政府をつつき、政府が農商務省に緬羊飼育拡大を命じ、農商務省が道庁にそれを押しつけたというだけの話である。
- 北海道の開拓はほぼ終了したのである。
- たとえその現在がすぐに現在性を失うとしても、現在が現在であるという事実は誰にも否定できないからである。
- 「十二滝町の歴史」によれば、一九六九年の四月の時点での町の人口は一万五千、十年前に比べれば六千人も少くなっており、その減少ぶんの殆んどは離農者である。
- 林地になったのである。
- というわけで、現在の十二滝町の主要産業は林業と木材加工である。
- しかし正直なところ、現在の十二滝町はおそろしく退屈な町である。
- 町のスローガンは「豊かな自然の中の豊かな人間性」である。
- 九十八年前にアイヌの青年と十八人の貧しい農民たちたちが辿ったのとほぼ同じ道のりである。
- 廊下をはさんで左側が大きな部屋で、右が二つの小さな部屋である。
- ある時にはそれはミッキー・スピレインであり、ある時には大江健三郎であり、ある時には「ギンズバーグ詩集」であった。
- 一九七八年の九月の午後にその巨大な四輪車が僕をつれこんだのは、まさにそのようないとみみず宇宙の中心であった。
- そしてそのひとつひとつに前に見たのと同じ羊の紋章が刻みこんであった。
- 本によれば、現在の十二滝町のある土地に最初の開拓民が乗り込んできたのは明治十三年の初夏であった。
- しかしアイヌの青年のそのような奮闘にもかかわらず、開拓民たちの生活は極めて苛酷なものであった。
- 村で緬羊にもっとも興味を持ったのは例のアイヌ青年であった。
- 奥の方の小部屋にだけ、人間の匂いが残っていた。ベッドはきちんとメイクされて、枕はかすかにへこみを残し、青い無地のパジャマが枕もとにたたんであった。
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド - 55件(別作品からの引用を含めると57件)
- ただ前後の状況を考えあわせてみて、エレベーターは上昇しているはずだと私が便宜的に決めただけの話である。
- 机を置いてロッカーを置いてキャビネットを置き、その上に小型のキッチンを備えつけてもまだ余裕がありそうである。
- 新品の棺桶のように清潔である。
- まわりの壁も天井もしみひとつくもりひとつないぴかぴかのステンレス・スティールで、床には毛足の長いモス・グリーンのカーペットが敷きこんである。
- もっとも暇つぶしとはいっても、それは私のような職業の人間にとっては、プロ・ボクサーがいつもゴム・ボールを握っているのと同じように大事なトレーニングのひとつである。
- そういう計算はやったことのない人には想像しにくいだろうが、はじめのうちはかなり厄介な作業である。
- 右側の脳と左側の脳でまったくべつの計算をし、最後に割れた西瓜をあわせるみたいにそのふたつを合体させるわけである。
- それは私が便宜的な性格の人間だからというのではなく──もちろんいくぶんそういう傾向があることは認めるが──便宜的にものごとを捉える方が正統的な解釈よりそのものごとの本質の理解により近づいているような場合が世間には数多く見うけられるからである。
- 世界というのは実に様々な、はっきりといえば無限の可能性を含んで成立 しているというのが私の考え方である。
- だからこそ私はいつもポケットに小銭をためておき、暇があればその計算をするように心懸けているのである。
- 私が言いたいのは特殊な現実の中にあっては──というのはもちろんこの馬鹿げたつるつるのエレベーターのことだ──非特殊性は逆説的特殊性として便宜的に排除されてしかるべきではないか、ということである。
- それなのにこの段階に至ってその注意深さが突然失われてしまうというのはいくらなんでも考えがたいことである。
- 彼らはそこで北に向きを転じ、西橋を越え、そして門へと至るのである。
- 雄の獣たちはその時期だけ──ちょうど毛が抜けかわり、雌の出産がはじまる直前の一週間だけ、いつもの温和な姿からは想像もできぬほどに凶暴になり、互いを傷つけあうのである。
- やがて日が落ち、夜の青い闇が彼らの体を覆うとき、獣たちは頭を垂れて、白い一本の角を地面に下ろし、そして目を閉じるのである。
- 滝というのはその滝にふさわしい音量を有するべきものである。
- やみくろがいったいどういうものなのか私には見当もつかないが、記号士たちがもし何かの勢力と手をつないだのだとしたら、それは私にとっても非常に具合の悪いことになるはずである。
- たしかに鯨の頭を並べたりしたら、それだけでこの部屋がいっぱいになってしまいそうである。
- 私は与えられた数値を右側の脳に入れ、まったくべつの記号に転換してから左側の脳に移し、左側の脳に移したものを最初とはまったく違った数字としてとりだし、それをタイプ用紙にうちつけていくわけである。
- 要するにこのギザギザの面をぴたりとあわせないことには、でてきた数値をもとに戻すことは不可能である。
- そしてもっと悪いことには彼らはその情報のうちのもっとも重要なものを自分たちの手にとどめ、自らの組織のために有効に使用するのである。
- 最初それは小規模のベンチャー・ビジネスとして生まれ、急激に成長したということである。
- そうしないと右脳と左脳のあわせめが不明確になり、出てきた数値が混濁してしまうのである。
- あれで害がないというのなら、あとは推して知るべしである。
- 図書館といってもべつに他と変ったところがあるわけではなく、ごくありきたりの石造りの建物である。
- 私が計算を始めるときが仕事の始まりであり、私が計算を終えるときが仕事の終りである。
- 高い車にはたしかにそれだけの価値はあるのだろうが、それはただ単に高い車というだけのことである。
- 私はだいたいが正直な人間である。
- とくに私の方はやみくろのいったい何たるかを知らず、その習性や形態やそれに対する防御法も何ひとつ知らないのだから、その不気味さもまたひとしおである。
- 新聞をとっていると、こういうときにとても便利である。
- というのは彼女はいつもカウンターの向うに座っていたから、下半身にはまったく目が届かなかったのである。
- 老人たちはみんな戦争の準備や遂行やあとかたづけや革命や反革命に休む暇もなく追われているうちに家庭を持つ機会を失ってしまった孤独な人々である。
- 彼らは朝早く目覚めると習慣的に素速く食事を済ませ、誰に命令されるともなくそれぞれの仕事にとりかかるのである。
- 皮は背で五色の色が混じりあい、腹は褐色か黄色である(架空の別作品からの引用)
- 多角獣よりは二角獣あるいは一角獣の方が機能的である。
- 私のシャフリングのパスワードは〈世界の終り〉である。
- 私が計算士になるためトレーニングを一年にわたってこなし、最終試験をパスしたあとで、彼らは私を二週間冷凍し、そのあいだに私の脳波の隅から隅までを調べあげ、そこから私の意識の核ともいうべきものを抽出してそれを私のシャフリングのためのパス・ドラマと定め、そしてそれを今度は逆に私の脳の中にインプットしたのである。
- 逆シャッフルは文字どおりその逆である。
- あとは彼女自身の問題である。
- ひとつは頭骨であり、もうひとつはシャッフル済みのデータである。
- この前十七歳の女の子に口づけされたのは十八年も前の話である。
- あきらかに人為的に手を加えられたなめらかな円形である。
- 人は何かを達成しようとするときにはごく自然に三つのポイントを把握するものである。
- 首相の起床時間から株式市況から一家心中から夜食の作り方、スカートの丈の長さ、レコード評、不動産広告に至るまでの何もかもである。
- しかし沈黙はゼロであり、無である。
- 暗闇でも目の利くやみくろたちはともかく、我々にとってはおそろしく厄介で不便な代物である。
- 私はそのニュース・フィルムを見ながら、もし自分が何かの理由でその圧倒的な量の水を吹きだすダムの下にいたとしたらどんなことになるものかと想像して子供心にぞっとしたものである。
- パンティー・ストッキングが出現する以前の話である。
- それはひとつの儀式であり認承である(架空の別作品からの引用)
- だからといってその時間性の中にひとつひとつ実体をはめこんでいくと、そのうちにそこから派生して生じるものが時間の属性なのか実体の属性なのかわからなくなってしまうのである。
- そういう意味では太った女と寝ることは私にとってはひとつの挑戦であった。
- 官舎という名前のとおり、かつては官吏たちがこの地区の住人であった。
- しかしそれはまあ見事といえば見事な食べっぷりであった。
- 大佐の話してくれたところによれば壁の外に広がる見わたす限りの石灰岩の荒野の下には、そんな無数の地下水脈が網の目のようにはりめぐらされているということであった。
- 欠けているぶんは手近な岩のでっぱりに足をかけて代用するわけだが、我々は転落しないように両手で岩をつかんで体を支えていなければならなかったから、懐中電灯の光をあてていちいち階段の次のステップを確認することもできず、踏み出した足が何も足場を捉えずにそのまま下につき抜けてしまいそうになることもしばしばであった。
- 何故なら私はその当時──もちろん今だってそうですが──大脳生理学の分野では最も有能にして最も意欲的な科学者であった。
ノルウェイの森 - 15件
- ただその穴が口を開けているだけである。
- 僕は寮に入った当初、もの珍しさからわざわざ六時に起きてよくこの愛国的儀式を見物したものである。
- 学生服はもちろん、学生服に黒の皮靴、中野学校はジャンパーに白の運動靴という格好である。
- 空が晴れてうまく風が吹いていれば、これはなかなかの光景である。
- 部屋によってその匂いは少しずつ違っているが、匂いを構成するものはまったく同じである。
- 人々の上に立って素速く状況を判断し、人々に手際よく的確な指示を与え、人々を素直に従わせるという能力である。
- 彼の頭上にはそういう力が備わっていることを示すオーラが天使の輪のようにぽっかりと浮かんでいて、誰もが一目見ただけで「この男は特別な存在なんだ」と思っておそれいってしまうわけである。
- 僕が永沢さんにせかされて何かをしゃべると女の子たちは彼に対するのと同じように僕の話にたいしてひどく感心したり笑ったりしてくれるのである。
- 全部永沢さんの魔力のせいなのである。
- そんなことは物理的に不可能である
- 彼の説によればこの寮の出身者で政財界に地下の閥を作ろうというのが設立者の目的なのだということであった。
- たしかに寮には寮生の中のトップ・エリートをあつめた特権的なクラブのようなものがあって、僕もくわしいことはよく知らないけれど、月に何度かその設立者をまじえて研究会のようなものを開いており、そのクラブに入っている限り就職の心配はないということであった。
- しかし「地図」という言葉を口にするたびにどもってしまう人間が国土地理院に入りたがっているというのは何かしら奇妙であった。
- <うん、えーと、病院の方じゃないかな〉、それはまるで病院が生活の一部であるといわんばかりの口ぶりであった。
- たしかにそれは真実であった。
ダンス・ダンス・ダンス - 12件
- 僕は、夢の中では、そのホテルの一部である。
- 実を言えば、いるかホテルの一部は博物館を兼ねているのである。
- 少なくとも彼女は、僕にとって唯一友人と呼びうる可能性を持っていた人間である。
- この手の取材でいちばん大事なことは下調べと綿密なスケジュールの設定である。
- 我々はプロである。
- 彼らは奇妙な人々である。
- ウクレレを持たせたらナイルの河岸に立って「ロカフラ・ベイビー」でも歌い出しそうである。
- 舞台は一転して荒れはてた砂漠である。
- 僕の仕事はインタビューしてこいと言われた相手をインタビューするだけのことである。
- 僕がのんびりやっていたのは、彼が難しいことは全部やってくれたからという、ただそれだけの理由からである。
- 台所・浴室・居間・寝室、である。
- 努力は報いられるはずのものであり、言葉は保証されるはずのものであり、美しさはそこに留められるはずのものであった。
国境の南、太陽の西 - 5件
- 僕が覚えているのは、カラフルで艶やかなジャケット と、そのレコード盤の重みだけで ある。
- そこは僕の店であり、僕の世界であった。
- それは僕にとってはまったく新しい体験であり、自分がそういう立場に立ってやっていくことができるのだということは思いがけない発見であった。
- それらの像はあまりにも間近であり、あまりにも鮮明であった。
- ある場合には現実よりも遥かに間近であり鮮明であった。
ねじまき鳥クロニクル - 10件 (別作品からの引用を含めると43件)
- だから今ではその道はまるで放棄された運河のように利用するものもなく、家と家を隔てる緩衝地帯のような役割を果たしているだけである。
- しかし間違いなく、これが彼のそのときの発言の骨子である。
- とくにそこが気に入っているわけではなくて、ただ単に距離的に近いからである。
- これが自分の天命である。
- 厚かましいお願いであることはじゅうじゅう承知のうえである。
- 伯父は新潟*区選出の衆議院議員、綿谷義孝氏である。(架空の別作品からの引用)
- そういう話があることは確かである。(架空の別作品からの引用)
- 二十世紀のうちには自分は必ず、政治家としてこの日本という国家の明確なアイデンティティーの確立を推し進められる位置についているつもりである。(架空の別作品からの引用)
- それがとりあえずの目標である。(架空の別作品からの引用)
- 自分が目指しているのは、日本を今あるような政治的な辺境状態から抜け出させ、ひとつの政治的・文化的モデルの位置にひっぱりあげることである。(架空の別作品からの引用)
- 換言すれば、日本という国家の枠組みの作り替えである。(架空の別作品からの引用)
- 偽善の放擲であり、論理と倫理の確立である。(架空の別作品からの引用)
- 必要とされているのは、不明瞭な字句や、出口のないレトリックではなく、手にとって示すことのできる明確なイメージである。(架空の別作品からの引用)
- 当時大学生だった長女は現在のところ行方不明である。(架空の別作品からの引用)
- 裁判所を仲介にして調停があり、土地の処分が可能になったのは昨年の夏のことである。(架空の別作品からの引用)
- またその造園業者によれば、庭の植栽作業の最中に井戸掘りの業者が呼ばれて、庭に深い井戸が掘られていたということである。(架空の別作品からの引用)
- ちなみに500SELの推定のリース料金は約一千万円である。(架空の別作品からの引用)
- リース会社は専用の運転手も提供するが、この500SELが運転手つきであるかどうかは不明である。(架空の別作品からの引用)
- いずれにせよ、この屋敷を買ったのはいったいだれなのか、そしてその「X氏」はそこをいったいどのような目的の為に使用しているのか、謎は深まるばかりである。(架空の別作品からの引用)
- それは信仰告白のようなものである。
- ひとつはまったく動物を殺さないでここを引きあげることであり、もうひとつは銃を使って射殺することである。
- 見かけは同じようでも、その場所は彼が昨夜眠りについた場所とは違った場所である。
- Mは前述の政治家夫人に勧められて、抑鬱症の治療に一年ばかり定期的にその女性のもとに通っていたのだが、そこで具体的にどのような治療が行われていたのかは不明である。(架空の別作品からの引用)
- ここまでがMが信頼する「きわめて親しい」人物に語った謎の治療の様子である。(架空の別作品からの引用)
- そこには何か事情があるはずだと推測しないわけにはいかないのである。(架空の別作品からの引用)
- この「会計事務所」はまだ検察庁の直接調査を受けたことはないものの、「幾つかの政治疑獄事件に関して何度か名前が浮かんだことはあり、当然当局に目はつけられている」(某紙政治部記者)ということである。(架空の別作品からの引用)
- となるとこの会計事務所との絡みの線から、「首吊り屋敷」の新しい入居者と有力政治家とのあいだに何らかの関連があるのではないかという推測が出てくるのは当然である。(架空の別作品からの引用)
- その記録によれば十日間にメルセデスが出入りした総回数は二十一回である。(架空の別作品からの引用)
- しかし朝の出入りの几帳面さに比べると、それ以外の出入りは不規則的である。(架空の別作品からの引用)
- その多くは午後の一時と三時のあいだに記録されているが、車が入る時刻も出ていく時刻もまちまちである。(架空の別作品からの引用)
- 車の四方のガラスは中が見えないようにティントしてあるので、「通勤者」の正体は不明である。(架空の別作品からの引用)
- もうひとつ明らかにしておきたいのは、調査をしていた十日間にこの門を通過したのは、その黒塗りのメルセデス・ベンツ一台だけだったという事実である。(架空の別作品からの引用)
- 高い塀が城壁のようにそびえているだけである。(架空の別作品からの引用)
- そのようなVIP専用のスペースを、このメルセデスは確保して使用していたのである。(架空の別作品からの引用)
- つまり不特定多数の人々が昼夜を分かたずに出入りするわけで、そのような場所でこのメルセデスに乗った人々の身元を特定することは、特別な権限を持たない限り不可能である。(架空の別作品からの引用)
- そこにうかがえるのは過剰なまでの金と政治力の介在である。(架空の別作品からの引用)
- ひとことで言うなら我々は息をのむような深く長い精神の危機的なカオスを目前にしているのである。(架空の別作品からの引用)
- 日本という国家が現在の時点で提供できるモデルはおそらく「効率」くらいである。(架空の別作品からの引用)
- 効率よく間違った方向に進むのは、どこにも進まないより悪いことである。(架空の別作品からの引用)
- あるいは思ったよりも長い手紙になるかもしれないが、迷惑でなければ幸いである。(架空の別作品からの引用)
- だからそれは僕にとっても、間接的にではあるにせよ、かなり重要なサイクルであった。
- たまにはふと空を見上げることもあったけれど、今の月がどういうかたちをしているかなんて、僕とはまったく関係のない問題であった。
- 医者の話によれば、さして苦しまずに短時間のうちに息を引き取ったであろうということであった。
スプートニクの恋人 - 3件(別作品からの引用を含めると4件)
- もっとも自分たちの島のそのような輝かしい文化的側面に対して、島に住むギリシャ人たちはほとんど関心を寄せていないようである。
- アテネ近郊の小さな町での出来事である。
- それが(ここだけの話だけれど)わたしのささやかな世界認識の方法である。(架空の別作品からの引用)
- これはぼくが十代をとおして自分の中ではぐくんできた視座であり、もう少し大きく言うなら世界観であった。
海辺のカフカ - 2件(別作品からの引用を含めると11件)
- すべての面接の質問者はロバート・オコンネル少尉である。(架空の別作品からの引用)
- なお添付された1/10、000および1/2、000現地地図は、内務省地理調査所作成のものである。(架空の別作品からの引用)
- このインタビューに関する付帯資料請求番号はPTYX-722-SQ-118から122である。(架空の別作品からの引用)
- 質問者ロバート・オコンネル少尉による所感〈岡持節子は顔立ちのいい小柄な女性である。(架空の別作品からの引用)
- 知的で責任感も強く、質問に対する答えは的確で誠実である。(架空の別作品からの引用)
- このインタビューに関する付帯資料請求番号はPTYX-722-SQ-162から183である。(架空の別作品からの引用)
- 人当たりは穏やかだが、しゃべり方はきびきびとして簡潔である。(架空の別作品からの引用)
- このインタビューに関する付帯資料請求番号はPTYX-722-SQ-267から291である。(架空の別作品からの引用)
- 純粋な現在とは、未来を喰っていく過去の捉えがたい進行である。(別作品からの引用)
- 荷台にはよく使いこまれたロング・サーフボードが2枚積んである。
- ドアのポケットにはむきだしのカセットテープが手当りしだいに突っこんである。
アフターダーク - 10件
- 彼女の眠りはそれほど純粋であり、完結的である。
- ほとんど唯一の装飾として、小さな額に入れられた写真が五つ棚に並んでいるが、すべてが浅井エリ自身の写真である。
- 私たちは目に見えない無名の侵入者である。
- テレビはこの部屋への新たな侵入者である。
- それはフィルムのようにぴたりと顔に密着しているので、マスクと呼ぶこともためらわれるほどである。
- ベッドはぴたりとメイクされたままの状態である。
- それはリアルタイムでこちらに送られてくる生きた画像である。
- 動作がひとつひとつ念入りである。
- 白川の家のキッチンである。
- そこにあるのはただの痛みではなく、記憶を含んだ痛みである。
1Q84 - 20件(別作品からの引用を含めると31件)
- 青豆という のは彼女の本名である。
- しかしおおむね整った卵形の顔立ちである。
- 大都会の裏側を、無名のままひっそり移動しなくてはならないという点では、青豆も彼ら青豆も彼らの仲間である。
- 天吾は小松にとって多かれ少なかれ、自分の延長線上にあるような存在である。
- 誰かに目撃されるのは当然の成り行きである
- 既婚者同士の熟年愛である。
- とはいえそれがやってくるのは時間の問題である。
- 物語の役目は、おおまかな言い方をすれば、ひとつの問題をべつのかたちに置き換えることである。
- 『平均律クラヴィーア曲集』は数学者にとって、まさに天上の音楽である。
- 冬になると、小舎はかまどから出るいがらっぽい煙がいっぱいに立ちこめ、そこへもってきて、ギリヤーク人たちが、妻や子供にいたるまで、タバコをふかすのである。(別作品からの引用)
- クルゼンシュテルンの一行とは、抱擁し合うほどの仲で、L・I・シュレンクが発病したときなど、その知らせがたちまちギリヤーク人のあいだに広まり、心からの悲しみをよび起こしたものである。(別作品からの引用)
- 商売を離れた普通の社会では、一切の噓や自慢話は、彼らにとって鼻持ちならないものなのである。(別作品からの引用)
- 一家族の中で、男性はみな同格である。(別作品からの引用)
- 彼らの間では明らかに、女性はタバコや綿布と同様、取引の対象となっているのである。(別作品からの引用)
- これの建設は一八六六年である。(引用者注、別作品からの引用)
- このナイブーチの海岸では、建築現場に響く徒刑囚たちの斧の音が聞こえるが、はるか彼方に想像される対岸はアメリカなのである。(別作品からの引用)
- 「小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間である」
- 我々がおこなっているのは初期仏教の原理的な研究であり、そこでおこなわれていた様々な修行の実践である。
- そのような具体的な実践をとおして、字義的ではない、より流動的な宗教的覚醒を得ることが、我々の目指すところである。
- それが我々の基本的な方針である。
- 脳という器官のそのような飛躍的な拡大によって、人間が獲得できたのは、時間と空間と可能性の観念である。
- それはひ弱な彼の生存を根本から脅かす状況である。
- 昼間そこにあるのは絶対的な孤独であり、夜の闇とともにとともにあるのは、猫たちによる執拗な捜索である。
- 『影は、我々人間が前向きな存在であるのと同じくらい、よこしまな存在である。(別作品からの引用)
- 多くは「集まり」の中で生まれた子供たちで、いちばん年齢が上なのが、その主人公の少女である。
- 世間でエリートと呼ばれる人々の決して少なくはない部分が──あたかも社会的割りあてを進んで余分に引き受けるかのごとく──鼻持ちならない性格や、陰湿な歪んだ性向を有していることは、一般によく知られる事実である。
- 農園内の道という道が、水のあふれ流れる小川にかわるのは、美しい眺めである。(別作品からの引用)
- すると農園主は家の外に出て空を見上げる。もっと雨を降らせてもらおうと、空にしがみついてしぼりあげようという風情である。(別作品からの引用)
- この町で天吾が暇をもてあましていることは周知の事実である。
- 胎児にとっての羊水のように自然なものであり、自明なものであった。
- 誰かが咳払いをしたか、或いは食べ物が喉につかえてむせたのか、変な声をしたと思ったが、くんくんと云った調子は、犬の様であった。(別作品からの引用)
騎士団長殺し - 4件(別作品からの引用を含めると5件で、地の文だけに注目すると0件)
- それなのに何の霊験もなく、こうして骨だけ残っているとはあきれ果てた有様である(別作品からの引用)
- それが宇宙の一般的一般的な原則である(騎士団長のセリフ)
- しかしそれはあくまで理論上のことである。(騎士団長のセリフ)
- ラテン語で『買い手責任』のことである。(騎士団長のセリフ)
- そして免色くんは、なかなかに関心をそそられる人物であった。(騎士団長のセリフ)