いまの僕の生き甲斐

僕は死に瀕している。体は健康なのだが、心が死にそうなのだ。仕事はつまらなく、異性にはモテない。友人はまったくおらず、現実でもネットでも話し相手すらいない。趣味も特にない。だから僕はあらゆる意味で孤独だ。ついでに言うとお金もないので、現実的な富も貧しい。

そこでせめて日々の楽しみを確保しようとして取り組んでいるのが小説の執筆だ。ただ、僕の場合はべつに書くことそのものにはあまり面白さを感じていない。それよりも自分の書いた小説を読むことに充実感を見出している。自分の物語がこの先どうなるのだろうかとワクワクしながら夜は眠りについている。

僕はその期待感を最大にするために、ある書き方を採用している。それはプロットを組まないというやり方だ。プロットどころか、世界観の設定も、キャラクターの堀り下げも、伏線も決めない。文字として書き出さないどころか、頭の中ですらなにひとつ決めずに小説の執筆をしている。未来の物語の展開もいっさい考えず、ただ目の前の場面にだけ集中して書くようにしている。

そうすると先のことが一切分からないので、自分の書いた話もまるで読者のようにドキドキしながら読める。正直なところ僕は自分が「書いている」という感覚がしていない。意識のレベルではつとめて何も考えないようにしているので、完全に無意識の部分から物語が出てくる。すると本当に思いもがけないことが出てきて驚いたり、深いところで心が満たされる体験をする。主人公の前に手ごわい敵が出てきたら緊張するし、可愛い異性と接触したら心が踊る。

僕はそんな風にして小説を書いている。ただ、こういうことはあまり大っぴらには言えない。言えば人から馬鹿にされるからだ。でも、時にはそれもいいだろう。僕はもうこれより下には行けないというぐらいの場所にいる。完全にドン底だ。だから別に人から馬鹿にされてもなんとも思わない。賢い人々は三幕構成とか、シド・フィールドとか、ビート・シートとかを勉強している。僕はたまにそれを遠くからぼんやりと眺める。とてもああはなれないと思いながら。