『城』を読む (後半)

前回に引き続き、カフカの『城』を解読していく。本稿では後半を扱う。本稿で示すページ番号は角川文庫の原田義人訳の『城』にもとづいている。

『城』は、前半が問題設定のパートだとすると、後半は問題解決のためのパートである。未完の小説なので、まとまりのある記事を書くのは難しいから、逐次解説していく。

P249-283

少年ハンス・ブルンスウィックがあらわれる。彼は無邪気で快活な少年であり、Kの味方をしたいと願い出る。ハンスを描く作者の筆致には健康な少年らしさがあるので、こういう人物を出してきたところにカフカの問題解決への意志がはっきりと認められると言える。フリーダも彼を可愛がる。この小説においてフリーダ、ハンス、バルナバスははっきりと善と認められる立ち位置にいる。

ただしハンスにはひとつだけ汚点がある。彼はKを買っているのだが、それはKが未来に権力を握る人物になると踏んでいるからなのだ。前回の記事で解説したが、城への接近はKの本当には望んでいないことなので、Kがそれを行うことを期待するのは作品の倫理上は悪である。ただ、それは子供だから騙されやすい、ということで説明がつくであろう。こういう混乱を残していくのは、カフカなりのバランス感の表れだと思われる。やはり主人公は早急には解決へと接近できないのだ。

ハンスは色々ごねたりするが、結局はKと母への接近を認める。母は城の出なので、城に近づく上でなにか力になるのではないかとKは考えるのである。ハンスがごねるのは、Kが城へ接近する運動を阻害しようとする清らかな願いの表れだと受け取れなくもない。

ハンスが去り、フリーダとKはまた痴話喧嘩をする。

「さっき、ハンスがノックしたとき、あなたは〈バルナバス〉という名前を叫びさえしました。あのときわたしにはわからない理由からこのいやらしい名前を呼んだのと同じように、あなたがわたしの名前もそんな愛情をこめて呼んで下すったらいいのだが、とわたしは思うの」

バルナバスは無垢な青年ではあるが、城からの使者であり、Kはその一点に価値を感じている。ところでフリーダは無意識の層ではKのはまっている陥穽をすべて見抜いており、彼の味方である。したがって城への接近の契機となる人物のバルナバスを嫌う。Kがバルナバスを買っているのを見ると本能で不快になるのだ。「(バルナバスの)いやらしい名前を呼んだのと同じように、あなたがわたしの名前もそんな愛情をこめて呼んで下すったらいい」というのは、翻訳すると、城の方向性とは逆の地点に、フリーダが目指す、Kとの真の愛は成立する、ということである。

「突然、一人の小さな男の子が入ってくると、その子の母親を手に入れようとしてその子と争い始めるのです。まるで命をつなぐ空気を求めて闘っているという調子だわ」

ここでもフリーダが問題の構造を示唆するようにKへと警告を放っている。少年の母親は、少年を管理する権力を持っていると言える。城からの使いであるバルナバスとの仲を大事に考えるのと同じように、Kは少年の母親を手に入れるために少年と仲良くなろうとする。つまりKは糸をたぐるようにして権力の構造を上に昇っていこうとする性質を持っているのである。そうした性格をフリーダは非難しているわけだ。

ただ、フリーダもガルディーナの支配を完全には脱していない。だからKは「君の話のなかで、君の考えとおかみさんの考えとどうも区別ができないところがあったよ」とフリーダに言うし、それを受けて彼女は次のように発言している。「わたしはたしかにあなたに対して不信なんか抱いたことはなかったわ。そして、もし何かそういったものがおかみさんからわたしにのり移ってきているのであれば、わたしはそんなものをよろこんで投げ捨ててしまいましょう。また、ひざまずいてあなたの許しを願いましょう」。

P284-290

ギーザとシュワルツァーの仲が語られる。しかしこれがどういう意味を持つかは分からない。

P291-328

Kがバルナバスの家を訪ねる。姉のオルガが弟のバルナバスについて語る。

この場面では、バルナバスがKの鏡像のような性質を持っていることが徐々に分かってくる。バルナバスはKと違って城まで行けるようであるし、そこでの仕事をこなしているように思われていたのだが、それも実は怪しいということが判明するのだ。バルナバスの行く事務局は本当に城の一部と言えるのか、また会っているはずのクラムは本当にクラムその人なのか、オルガは疑う。バルナバスは役所の制服をもらえない。したがって、バルナバスの境遇はじつはKと似ているのである。

前回説明したことだが、Kは自分自身を見ることができない人物だ。カフカはどうしてもK自体をなかなか語れない。そこで彼は鏡を用意してKの前に置くことをする。それがバルナバスである。Kはバルナバスを見たつもりになっているが、実際はバルナバスを通じて自分自身を見ているのである。バルナバスはKのメタファーだ、と言い換えてもよい。

事実、鏡に写されたバルナバスにおいて、問題の分析は進んでいると言えるのである。オルガは言う。「城の使者っていうものはとても自分を抑えなければならないんです」。また次のように発言してバルナバスを憐れむ。

「バルナバスが朝早く、これから城へいくんだ、っていうと、わたしは悲しくなります。このおそらくはまったく無益と思われる道、このおそらくはむだに失われる一日、このおそらくはむなしい期待。そんなすべてはいったいどんなものなんでしょう?」

オルガは弟のバルナバスを愛している。それで彼女はバルナバスが城に消耗させられていることを嘆き、城を攻撃するのである。小説は、これ以前はKがやみくもに城をあがめ、突進しようとしていた様子を描いていただけであるから、オルガの言説にはかなりの進歩が認められる。

Kは次のようにバルナバスへの警告を発する。

「では弟さんはけっして何かをなしとげることはできないでしょう。両眼に繃帯した人に向って、繃帯を通して眼をじっとこらすようにといくら元気づけたところで、その人はけっして何かを見ることはできませんからね。繃帯を取り除いてはじめてその人はものを見ることができるんです」

これはガルディーナがKに発した次の警告の言い換えである。「どこへいこうと、あなたはここではいちばん無知な人間なのだということを、はっきり意識していて下さいよ」。「あなたはこの土地ではすべてをまちがって見ているのよ」。

内容をよく吟味すると、この種の警告にも進歩が認められるだろう。Kは「繃帯を取り除いてはじめてその人はものを見ることができるんです」と、解決案を提示しているのだから。

P328-384

ここからオルガによって一家の転落の事情が語られる。アマーリアが城の役人であるソルティーニの要求をしたたかに断った結果、法とは別の方法で、一家全体が罰せられたのだ。いわゆる村八分である。父親は失職し、一家は貧乏になり、住居を移すことを余儀なくされた。

このエピソードで初めて城がその力を思うがままに行使する様子が語られる。それは罪のない一家を破滅に追い込む負の力なのだ。父親の奔走が徒労に終わるさまに、それはよく表されている。彼はひどく哀れだ。

しかし城の力は不透明である。城は一家に対して何もしていないと主張する。事実、城は何もしていないのだ。村社会が勝手にバルナバスの一家を村八分にしただけなのである。城との闘いは格闘戦にならない。それはまるで雲や風につかみかかろうとするようなものなのだ。こうした不条理な雰囲気の根本原因は、前回の記事でも解説したが、Kの引き裂かれにあると言える。

また上記の話とは別に、権力と女の在り方というものが語られる。フリーダはいまだにクラムを愛しているとKは言う。さらにオルガは次のように発言する。「クラムは女たちの指揮官のようなもの」。「それどころか、女の人たちはいくら否定しようとしても、役人たちをすべてはじめから愛しているのです」。

ここで語られているのは、権力を持った父親的な存在によって女が奪い去られるということである。ただし難しいのは、その父親があまりにもぼんやりとした存在であるということだ。クラムは作中で一言も発しないのである。クラムとフリーダの関係性が置き換えられたソルティーニとアマーリアにおいても、城側であるソルティーニにはあまり存在感がない。

『城』における権力の父性と母性のパワーバランスは謎である。作中で主人公に対して城を代表する存在のクラムは、男性であるし、しかも婚約者フリーダの元恋人であるから、ここだけ見るといかにも父親的なものが強調されているように思える。しかしクラムは作中で一言も発しないのだ。彼は容貌も定まっておらず、正体不明としかいいようのない存在である。これに対して、宿屋のおかみであるガルディーナの存在感は大きい。彼女は頭ごなしにKを否定し、長広舌の説教をする。彼女は夫よりも強いのだ。またフリーダを可愛がっており、フリーダ自身もおかみと自分の考えが区別できないことを言う。したがって、母性というものの強さが際立っているようにも思えてくる。

あえて言うならば、母親的な存在もまた父性的な影を帯びている、ということが言えるかもしれない。ガルディーナは居丈高である。そこら辺の性格が父性的なのだ。

P385-408

オルガがバルナバスを城に勤めさせるようにしたことの経緯が語られる。しかし城の勤務は彼を疲弊させる。

「ことにわからないのは、弟が少年のときにはわたしたちすべてを絶望させるくらいであった元気のよさを、どうして今、大人になって、あの上の城ではあんなにすっかり失ってしまったか、ということです。むろん、あのように無益に立ちつづけていること、毎日ただ待ちつづけて、しかもいつもそれをくり返し、変わるという見込みも全然ないことは、人間を疲れ切らせ、懐疑的にし、ついにはああやって絶望して立ちつづけること以外には何もできなくしてしまいます」

P408-421

助手のイェレミーアスが現れる。彼は変貌しており、老けており、以前よりもKに強く当たる。彼は長広舌でKに苦情を申し立て、仕事をやめてKから離れていくことを宣言する。

フリーダはKを見捨てようとしている。

クラムの第一秘書のエルランガーが紳士荘へ行くことを聞きつけ、Kはそこへ向かう。

P421-429

エルランガーは寝ている。

P429-501

フリーダはKを非難する。「あなたは一度だってわたしの過去のことをきいてくれたことはありませんね」。この言葉はKに差し出されたヒントである。フリーダの過去を知り、素性を知ることが事態の解決に近づくことなのだ。これはKが自分自身を見つめることができないので、代理としてフリーダを見つめることが求められていると解釈できる。だがKはフリーダを知ろうとしない。

イェレミーアスはさらに増大しており、フリーダを奪い去ろうとする。

宿に泊まっている城の人々は眠り込んでしまった。そのタイミングでKはビュルゲルという秘書に呼ばれて部屋に入り、彼の話を聞く。ビュルゲルの話は要領を得ないが、ともかくそこでは夜間聴取の特殊性が強調される。

夜が陳情者たちの審理には不適当である、というわけです。これはさまざまな外的なことにかかっているのではなくて、さまざまな形式は夜でも、欲するならば昼間におけるのと同じようにきびしく守られることができます。だから、このことが問題ではないのですが、それとはちがって公的な判断が夜にはそこなわれるのです。人間は知らず知らずに、夜間にはものごとを個人的な観点からより多く判断する傾向があります。

Kは眠ってしまう。

Kは疲れについて次のように考察する。

真昼に少し疲れているならば、そのことは一日がうまく自然に進んでいることになるのだ。「ここのお偉がたたちはいつでも真昼にいるのだ」と、Kはひとりつぶやいた。

Kはおかみから非難される。

あなたは夜間聴取に呼び出されたのではないのか。それなのに、なぜ夜間聴取が行われているのか、知らないのか。夜間聴取というものは――と、ここでKは改めてその意味についての説明を聞かされた――ただ、城の人たちにとって昼間見るのは耐えがたい陳情人たちを、すみやかに、夜間、人工の光の下で聴取し、しかも聴取のすぐあとであらゆるみにくさを眠りのうちに忘れ去るかもしれないという可能性を期待して聴取する、ということだけを目的としている。

上記の流れはすべて眠りというものと関連している。以前は単に登場人物が頻繁に入眠するということしか書かれていなかったのだが、カフカはここに来てそのテーマを深掘りしようとしているらしい。だがその意味や向かう先は判然としない。謎である。

また、Kの無力感が頂点に達する。読者も感じていたに違いない徒労感がはっきりと明示される。ここは見逃せない。

その命令からKにとっては自分のあらゆる努力はむだであるということがはっきりとわかってくるからであった。さまざまな命令は、都合のよいものでも都合の悪いものでも、彼の頭上を通り越していき、しかも都合のよい命令も窮極においては都合の悪い核心をもっており、いずれにしてもすべての命令は彼の頭上を通り越していくのだった。そして、彼はあまりに低い地位に置かれていて、そのためにそうした命令に干渉したり、あるいはそれを黙らせ、自分の声に耳を傾けさせることはできないのだった。

P501-552

ペーピーがKを口説く。ペーピーは執拗にフリーダを非難する。しかし続きがないのでカフカが一体ペーピーを使ってどう物語を展開させようとしているのかは分からない。

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