『BECK』を読む

ハロルド作石の漫画『BECK』について書く。

『BECK』の中心的なテーマは、正と負の融和である。すなわち、うらぶれた物や汚い物、罪や影といった物と、きれいな物との融和である。それが細かい描写から小さなエピソード、物語の根幹にまでよく表されているので、『BECK』は優れた芸術作品として完成されていると僕は思った。

描写としては、例えば犬の糞や野外ライブの即席トイレや、ゴキブリといったものを何度も克明に描いている点が挙げられる。こうした描写の延長として、野外ライブのゴミがある。これは主人公たちの印象的な夢に出てくるだけでなく、バンドがブレイクする時のアルバムのジャケット写真にもなっているので、物語と深い所で結びついた絵であることが分かると思う。

エピソードとしては、壊れたSGの修復や、死者のエディが作ったワンフレーズを引き取って作曲し、完成させる所などがある。放っておけば捨てられる物をわざわざ拾い上げて直す。するとそれがバンドの強力な武器として機能するのだ。ブレイク時にバンドのメンバーが誰もリタイアしない所などもテーマとの関連がある。斉藤さんのような、一見いいところのない中年男性が恋愛を成就させる点なども、みすぼらしい物を見逃さずに拾い上げる作品の意図にかなっている。

こうした方向性の果てにある話が、終盤におけるレオン・サイクスとの和解である。彼は現世の欲と罪に染まりきった人物であるから、融和すべき反対物の極限に位置する存在だと言うことができる。しかし彼は心のどこかで音楽の持つ深い力を信じている人物でもある。コユキはそれを見抜いて、完成させたDEVIL'S WAYを聴かせる。すると彼はバンドの味方になって、アヴァロン・フェスティバルというライブを締めくくるトリとしてBECKを出演させるのだ。

レオン・サイクスはその翌朝、心を開いた証左として、犬のベックの首輪を渡し(すなわち譲り)、その成り立ちをコユキに聞かせる。死にかけた三匹の犬を医者に預けて治療させ、二匹の犬として復活させたことだ。バラバラになったものを結合させて新たな生命を与えること。これはまさに作品の中心的なテーマと合致した挿話だ。ただしそこには切実な痛みもたしかに含まれている。犠牲になった一匹の喪失である。影との融和は、痛みなしには達成されない。そこに作者の慧眼と世界の真理が見て取れるのであり、我々は深い感動と納得を覚えるのである。

『BECK』のもう一つの特徴は父親的なものの扱い方だ。主人公の父親はすでに亡くなっており、遺影としてわずかに登場するだけである。しかし父親的なものは数多く出てくる。バンドの前に立ちはだかるレオン・サイクスや蘭がそうだ。彼らは物語の前半においては圧倒的な力の持ち主として登場し、バンドにとって大きな壁として機能する。ただし後半に入ると様相が変わってくる。

レオン・サイクスもまた成功のために苦労し、傷つきながら戦っていることが描かれるのだ。レオン・サイクスにとって打倒すべき父親的な人物としてビクター・スレイターが登場し、彼に苦しめられるところがきっちりと尺をとって描かれる。結局レオン・サイクスは逆転して、暴力を用いて彼を倒す。つまりここではレオン・サイクスが相対化されていると言っていい。彼もまた主人公たち同様に父という存在物と戦い、成長していかなければ生き抜いていけないことが示唆されているのだ。このことは、彼が心に傷を抱きながら生きていることと結びついている。その傷は、音楽の持つ救済の力を信じていることと表裏一体である。すなわち愛犬が敵対勢力に傷つけられ、喪失したことだ。その傷ついた心は、コユキがDEVIL'S WAYを聴かせると開かれ、告白される。そしてレオン・サイクスはもはや敵対することをやめて去っていくのだ。こうしたストーリーの流れは一体何を意味しているのだろうか。

上記から分かることは、『BECK』における父親とは、剛直な力によって倒される存在ではなく、主人公が深い知恵を示したときにのみ倒される、というよりも、自壊して引き下がっていく存在なのだ、ということである。その知恵は、父親の持つ心の傷と関連があり、それを救済するだけでなく、より高い次元に引き上げていくものである。

蘭もまた同様の方法で倒される。蘭が若い頃に憧れていたイギリスのオーディエンスたちに主人公のバンドが受け入れられた事実や、晋作という敬慕していたバンドマンが持っていたSGをコユキから譲られることで、自発的に負けを受け入れ、引き下がっていくのである。

繰り返しになるが、放っておけば捨てられる物をわざわざ拾い上げて直したという所が、二つの父親の倒し方に共通している点である。それこそがこの作品における優れた知恵であり、魂の力なのだ。世界には多くの汚い物があり、傷があり、罪がある。放置されたそれらは、残しておけば暴走し、闇を食らって成長し、やがては人々の心に害をなすだろう。そのような認識のもとに、我々はたとえ自分を傷つけることになろうとも、彼らを抱きしめ、受け入れていかなければならない。彼らをより高い次元に連れていき、優れた美と真理を達成しなければならない。このような調和の方向に、本物の音楽は存在するのである。