『ユニコーン』を読み解く

やる夫スレの作品に『ユニコーン』がある。これは完結した全てのやる夫スレの中ではもっとも面白いものだ。この物語は溢れんばかりの文学的な力を保持している。本稿ではこの『ユニコーン』を読み解いていく。

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本作の中心的なエピソードは涼宮ハルヒから主人公・鹿影キョン子が怒られることである。ハルヒの怒りは理不尽であり、まったく根拠がない。キョン子はただ怒られるのであり、彼女は物語の主人公としてそれを受け入れるか拒否するかという道徳的な二者択一を迫られる。それは相手よりも自分を取って我が身を守るか、それとも自分の身を呈して相手に尽くすかという、自己犠牲の選択なのだ。これは物語における定番の型であり、正解が何かは決まっている。キョン子は自己犠牲の側を選んで、涼宮ハルヒの怒りを鎮めることに成功する。それどころかそれがきっかけとなって、終盤では彼女との仲が進んだと捉えられるのである。以上が本作のストーリーの骨子である。

全てを失う覚悟を決めて自己犠牲を選ぶと途端に目の前の道が開けるばかりか、自己の命も救われ、おまけの財宝まで付いてくるというのは、実によくある物語のパターンなのであり、本作におけるこの場面もそうした掟に忠実になっている。ドラゴンの体内で起きたことは、そのように命を差し出す覚悟を決めるまでの主人公の葛藤を表現していると捉えると、理解が容易になるだろう。それは命を懸けた冒険に匹敵するほどの覚悟なのである。だがハルヒとの仲が進んだことが発覚したと同時に、二人は別れなければならない運命にあると分かる。なぜ結末はこのような悲しい方向へと流れて行くのだろうか。

ここで一度視点を切り替えて、物語全体の基調として妊娠というテーマがあることを確認したい。まず木馬の世界に入るきっかけは女性の経血である。木馬の世界に入ったところで主人公はモリー・ハンターの『砦』を取り上げて母性について論じる。子宮という単語も出てくる。また、ドラゴンの体内に入ることは女性の子宮に入ることを暗示しているとも受け取れる。主人公はそこで冒険を果たして成長し、竜の腹をみずからの力で破って外へと出る。この行為には、イメージ上は出産に近いものがある。彼女はそこで生まれ変わるのだが、興味深いのは、成長したにも関わらず主人公に何かが付け加わるのではなく、むしろ喪失してしまうところにある。彼女は生理、言い換えれば妊娠の可能性というものを失くしてしまうのだ。そのような犠牲を払ってまで彼女は自分の想い人である女王の妊娠の可能性を拡大する。それ以前は女王は女性しか出産できず、キョン子の犠牲によって男性を産めるようになるというのも示唆的である。女王の登場人物として二人の娘がそれなりに顔を見せて主人公に接近するところを考えると、それまでは女王とキョン子の周辺は女性性にのみ支配されていたのが、可能性としては男性性へと接近を見せる訳だと捉えることが出来るのである。

実はドラゴンの体外へと脱出する際にキョン子が妊娠の可能性をなくすことを、喪失ではなく、単純に成長と捉えると、『ユニコーン』の理解はかなり容易になる。キョン子は物語の上では女性という服装をまとっているのだが、心理的な意味では完全に男性なのである。事実、『ユニコーン』の作者であるリクトー氏は男性なのだ。彼は男と女の性差は、単に妊娠できるかそうでないかの違いでしかないと喝破した。彼は男性というものを、「妊娠できない」という不可能者として、もっと言えば障害者のようなものとして認識している。そこには影のように不具者の悲しみがつきまとうのだ。このような理解に基づいてドラゴンのエピソードを振り返ると、帰還の際に「原因不明の病に苦しみ、半年間の闘病生活を続け」、「決して子供を宿さない身となった」ことも分かってくる。それは切実な苦しみに他ならないのだ。このような不可能性を受け入れ、喪失に耐えることが男の二次性徴のあるべき姿であり、成長であるというのがリクトー氏の考えなのである。それは通常考えられる男性というもののイメージを、裏側から見た物の捉え方だと言っていい。

上記の議論を延長していくと、結末が想い人の涼宮ハルヒとの別れになることも分かってくる。主人公の「男性としての」成長が足りないために、異性――物語における心理的な意味では異性と言える――との結合がかなわないのである。キョン子はまだ成長にともなう喪失の意味を解きほぐす段階に留まっており、それを完全に克服して次の段階へと向かうことをしていない。キョン子は物語の終盤に角の生えた馬に乗ってヒロインを追いかけるが、最後の場面を迎えるまでその正体が涼宮ハルヒであることを認識できないことも示唆的である。キョン子は自分の欲望に自覚的でない。そこに成長の足りなさが見て取れるのだ。ちなみにユニコーンによるチェイスは男の性欲の表現だろう。メタファーとしてしか表現されない点にも、彼女の自覚のなさが窺えるのである。

『ユニコーン』は男性女性のどちらの性にも属していない未熟な子供が、そこから脱して大人に近づこうとする物語であった。この作品は成長の捉え方と表現の仕方が独特であり、成長にともなう男の喪失の悲しみが十全に表現されている傑作だと言える。

このような認識に基づいて細部を捉えていくと、理解も進む。例えばドラゴンは主人公に食べ物を盗んでくることを要求するのだが、これはどこか『大いなる遺産』における主人公と囚人のエピソードを想起させるものがある。囚人が幼い主人公を脅して保護者から食べ物を盗んでくることをさせるシーンだ。これは言い換えれば、物語の主人公が保護者や親の庇護下から離れていくことを意味している。実際キョン子は学校の教員室からも物を盗むのである。そのような旅立ちのイメージがコンパクトに収められている。

序盤にドロシーと呼ばれる女性が、指一本から再生して女性の体を獲得するエピソードも興味深い。彼女はキョン子からの性的な悪戯を受け入れるので、女体というものを代表した存在でもある。言い換えれば、この物語は女性性の成長というものも内包しているのだ。作者は男性性および女性性のどちらにもつけずに混乱しているようである。その混乱が結末における破局をもたらす要因になっているとも捉えられる。

また、この作品はイメージの描写がいい。湖に石を投げて波紋を引き起こすように、読み手の心の奥底から様々なイメージを引っ張り出して連想させるような描写をするのが上手いのだ。例えばドラゴンの体内に入るという行為や、大人であるはずの人間たちが背が低く、逆に小さいはずのネズミが大きかったりすることだ。あるいは女王の娘が双子で、かつ名前が同じであること。ドラゴンの体内の人々が、自分たちが竜の中にいることを自覚していないことなどである。リクトー氏はこれらのエピソードを、解釈や発展などせずにただポンと読者に向かって投げつける。こうした描写の仕方は、すでに述べたような、どちらの性にも属していない幼さというものと関連が深い。