文学論

生きていることに意味はない

これからの人類は「生きていることに意味はない」という真実とどう向き合っていけばいいか、その態度を問われることになるだろう。というか、もうすでに問われている。目に見える現象としては少子化がそれだ。 子供を作ることが不可能ではないはずなのにそう…

いまの僕の生き甲斐

僕は死に瀕している。体は健康なのだが、心が死にそうなのだ。仕事はつまらなく、異性にはモテない。友人はまったくおらず、現実でもネットでも話し相手すらいない。趣味も特にない。だから僕はあらゆる意味で孤独だ。ついでに言うとお金もないので、現実的…

心という機械と小説の関係性

今日はより良い小説を書くために我々はどうするべきかという話をしたい。 僕の考えでは、人間の心は機械である。小説は人間の頭の上で実行することが可能なプログラムだ。人間の頭はインタプリタなので、ソースコードそのままの形である小説を実行できる。実…

いま魅力のあるコンテンツは何か

いま世間で流行っている一番魅力のあるコンテンツは、ライブ配信と炎上だ。ここで言う炎上とは、たとえば2023年の1月に起きたスシローのぺろぺろテロ、およびそれに集中した批判のことを指している。 いかなる小説も漫画もゲームも、この二大コンテンツには…

影と鏡像6

本稿では心の入れ替えという作用について記す。 セルバンテスのメソッドは典型的な入れ替えの例である。セルバンテスは人間の心が意識と無意識の二層に分かれていることを喝破し、かつそれぞれの層が抱えている感情を入れ替える方法を発明した。それがすでに…

影と鏡像5

影と鏡像は負の姿である。それは正の姿としては、古事記における二ということになる。西洋的な価値観から古事記における二の姿を見ると、それは影と鏡像として目に映る。 古事記における二は、代表的なものとしてはやはり結婚する男女である。彼らは持ち物を…

影と鏡像4

主人公が引き裂かれの状況に置かれている時に、二つの異なる道の融和を図らざるをえないのは、往々にして作者にとっても困難な道である。なにが善であるかなにが悪であるかが自明ではないという状況下で、作者はまったく新しい大柄な倫理観を創出して、読者…

影と鏡像3

本稿では次の作品群をとりあげる。 ポー『ウィリアム・ウィルソン』1839年 モーパッサン『オルラ』1886年 アンデルセン『影』1847年 シャミッソー『影をなくした男』1814年 ホフマン『大晦日の夜の冒険』1814年 ル・グウィン『影との戦い』1968年 村上春樹『…

影と鏡像2

影と鏡像という構造の中心にあるのは引き裂かれへの独自の態度である。影と鏡像は、主人公が二つの力に引き裂かれる状況に陥っているときに、その解決を、片方の抹消ではなく、両者の融合でおこなおうとする場合に立ち現れる。 物語の主人公は通常、何らかの…

影と鏡像

影と鏡像という文学のテーマがある。これはシャミッソーの『影をなくした男』という小説から開始されたらしい。明らかな後継作品としてホフマンの『大晦日の夜の冒険』がある。まずはこれら二作品について僕の持論を述べ、それから関連する作品についても言…

僕の考える小説の歴史の仮説

いままで僕は小説の歴史というものを意識したことがなかった。それはとほうもなく巨大なもので、僕のような小者には到底理解できないに違いないと思いこんでいた。 でも最近はすこし考え方が変わってきた。別に歴史の全貌をとらえる必要はないのだ。というか…

嘘と疲労、そこからの回復ということ

嘘は文学において避けられないテーマである。小説は基本、嘘を書く。普通は嘘だけでほとんどを構築する。小説はそうした砂上の楼閣、雲のようなあやふやなものであるにも関わらず、読んだ人の心を動かし、確実に新しい何かを与える。それがすぐれた文学の在…

『カラマーゾフの兄弟』に反論する

『カラマーゾフの兄弟』は偉大な作品だ。でもその主張は間違いである。あるいは不完全な部分があると僕は考える。 ドストエフスキーは引き裂かれが間違った状態であると捉えた。だからそれの解決に向かって物語を前進させて、じっさいに終局させた。引き裂か…

僕にとっての最大のテーマ

僕にとっての最大の文学的なテーマは死だ。それに興味がある。ふりかえってみると僕の心に残っている小説はどれも死を中心に据えていた。『失われた時を求めて』、『カラマーゾフの兄弟』、『豊饒の海』などだ。 文学とは何だろうか。それは結局は物語だ。レ…

僕の文学に対する姿勢

好きなコンテンツについて 僕は小説を読むことがあまり好きじゃないらしい。以前からなんとなく自覚してはいたが、じつのところ小説が苦手なのだ。字ばかりで絵がない本なんて気が滅入る。それが本音だ。たぶん世の中の漫画が『チェンソーマン』や『ヒストリ…

ニヒリズムと嘘

三島由紀夫はニヒリズムを極めた作家だ。その考えの要諦は次である。 この世のあらゆる事物には何の意味もない。 すなわち人生は無意味である。 したがって人は皆ただちに自殺しなければならない。 村上春樹はこのニヒリズムの克服を目指した作家である。そ…

かりそめの目標

物語は序盤で主人公になんらかの目標を示す。ただしそれは他者から与えられた、かりそめの目標であり、達成したとしても真の問題解決にはならない。主人公は物語の途中で目標を検証し直し、自己の本当の課題が何であるかを定義しなおさなければならない。そ…

『チェンソーマン』を読んで思ったこと

藤本タツキの漫画『チェンソーマン』を読んだ。実に面白かった。 内容は、とても文学的な物語だった。エンタメ色は薄い。画風もキャラクターデザインも物語も全然キャッチーではなかった。それでも物語の文学的な魅力が素晴らしかったので、僕はノックアウト…

入れ子構造とくりかえし

物語を入れ子構造にして、入れ子の外側と内側でそれぞれ同じ構造の物語を語ると、その作品は大きな効果を得る。 その種の作品として次の三つが挙げられる。いずれも以前に解説をしたので、各記事へのリンクを貼ったから、まずはそれらを読んでほしい。 象の…

物語におけるエディプスコンプレックスについて

漫画『推しの子』を読んだ。面白かった。母親を溺愛する男の子が、母親を殺した主犯(と思われる)父親を探し出して復讐を企むという筋書きである。これは「父親を殺して母親を娶る」というエディプス王の話型を変形したものだと僕は受け取った。 映画・エヴァ…

二つの道

物語の普遍的な構造の一つに二つの道というものがある。楽な道と困難な道の二つが主人公の前に示されており、主人公はどちらを選ぶか逡巡するというものだ。 それは通常、どちらが楽でどちらが困難なのか、そしてどちらが正しくてどちらが間違っているのかは…

分裂と統合・その2

岩崎夏海が喝破したようにすべての文学には分裂という問題がつきまとっている。 例えばレイモンド・カーヴァーの『ささやかだけれど、役に立つこと』では、前に考察したように、書き手の思いは幸福な人々と不幸な人々の二者に分裂している。またフィッツジェ…

世界で最も偉大な小説と二番目に偉大な小説

愚かな物好きの話 世界で最も偉大な小説はセルバンテスの『ドン・キホーテ』である。特にその中の短編『愚かな物好きの話』がそうだ。セルバンテスはそこで小説におけるもっとも基本的なテクニックを構築し、誰にでもわかる形で明らかにしてみせた。 それは…

冒頭に置かれた矛盾

冒頭に矛盾した表現を置いている小説は数多い。それらはしばしば小説のテーマと関わりがあり、新しい作品世界を立ち上げるための起爆力にもなっている。次にひとつ例を挙げる。 長いこと私は早めに寝むことにしていた。ときにはロウソクを消すとすぐに目がふ…

分裂と統合

『1Q84』には同じ名詞や字句のくりかえしが作中に頻繁に現れる。本稿ではその表現の持つ文学的な意味を探究する。 同じ字句の繰り返し 次の一文は、天吾が『空気さなぎ』の改稿許可を得るために戎野先生に初めて会いに行く場面から引用したものである。 呼吸…