2023-01-01から1年間の記事一覧

『スローターハウス5』を読む

早川書房から出ているカート・ヴォネガットの『スローターハウス5』を読んだ。それについて書く。 この小説で書かれていることはひとつだけだ。それは人が戦争に――というよりも戦争を含めたありとあらゆる理不尽な災いに――直面したときに尊厳を傷つけられた…

『ユービック』を読む

フィリップ・K・ディックの『ユービック』を読んだ。それについて書く。 この作品にはあらゆるところに「二つの力の対立」というモチーフが姿を見せる。ランシター合作社とレイモンド・ホリスの対立もそうだし、超能力者と不活性者の対立もそれに当たるし、…

誰も僕のブログを読まない

僕は物語を読み解くのが得意だ。たとえば映画『君たちはどう生きるか』の記事を書いたが、アオサギが零戦のメタファーであることをネット上に発表したのは僕が初めてだと思う。少なくともこのことについては僕が一番乗りというわけだ。 しかし誰も僕のブログ…

映画『君たちはどう生きるか』を観る

映画『君たちはどう生きるか』を一回観た。それについて書く。この記事はネタバレを含んでいる。 この映画の最大の特徴は、説明がさっぱりないことである。この場面にはこんな意味がある、ということが示されないまま次の場面へと移っていく。そういう意味で…

『スプートニクの恋人』を読む

村上春樹の『スプートニクの恋人』を二回読んだ。とても良い小説だと思った。それについて書く。 まず確認しておきたいのは、この小説は構造の読解がむずかしいということである。読みやすい小説だし、良さも実感しやすい。村上春樹を読んだことがない人にも…

『高い城の男』を読む

フィリップ・K・ディックの『高い城の男』を読んだ。面白かったので、それについて書く。 物語の名作というのは多くの場合、読者に対して優れた問いかけをする。もっと言うと、読了後にもやもやした気持ちを抱かせる。読者はその作品の登場人物や事件につい…

『流れよわが涙、と警官は言った』を読む

フィリップ・K・ディックの『流れよわが涙、と警官は言った』について書く。 本書のクライマックスは主人公タヴァナーがメアリー・アン・ドミニクと出会い対話をする場面である。我々はそこで愛情の持つ大いなる力に撃たれることになる。今まで自分がいかに…

『国境の南、太陽の西』を読む

村上春樹の小説にくりかえし現れるテーマとして、完璧にくっついている一組の男女というものがある。たとえば『ノルウェイの森』のキズキと直子がそうである。 「私たちは普通の男女の関係とはずいぶん違ってたのよ。何かどこかの部分で肉体がくっつきあって…

『古事記』を読む2

古事記に海はくりかえし登場する。イザナギとイザナミが矛を突き立てる原初の混沌も、たぶん海がイメージの源なのだろう。その後にイザナミの死を経過してから、イザナギは三貴子を産む。このときにスサノオは海を治めるよう命じられるが、従わない。彼は成…

『青い花束』を読む

岩波文庫の『20世紀ラテンアメリカ短篇選』で、パスの『青い花束』を読んだ。非常に短い作品だがとてもよかったので、この記事を書くことにした。 この作品の物語展開は四つに分けられる。まず特に意味を持たない描写だけのパートがあり、次に世界の美しさを…

影と鏡像5

影と鏡像は負の姿である。それは正の姿としては、古事記における二ということになる。西洋的な価値観から古事記における二の姿を見ると、それは影と鏡像として目に映る。 古事記における二は、代表的なものとしてはやはり結婚する男女である。彼らは持ち物を…

『街とその不確かな壁』を読む

村上春樹の『街とその不確かな壁』について書く。 この本は別段面白くはないし感動的でもない。文章そのものにもこれといった刺激や独特の味はないから、読者としては最初から最後まで同じ味のコース料理を食べさせられているような気持ちになる。 それは仕…

『古事記』を読む1

いま僕は河出文庫の現代語訳の『古事記』を読んでいる最中だ。全体の1/3まで読み進めた。今日はここまでで心に留まったことを書いてみたい。 登場が多いのはともかく海と男女である。海と男女のことばかりが書かれていると思っていいかもしれない。 エピソー…

『書記バートルビー』を読む

光文社古典新訳文庫で『書記バートルビー』を読んだ。面白かった。いや、面白いというよりは胸にささる切なさがあった。 この作品の良さはオチにある。結末において、実はバートルビーが「配達不能郵便物局」の下級職員だったことが明かされる、その瞬間の衝…

僕には自分の意見がない

僕は文系の学問に興味がない。思想も哲学も評論も無視してきた。今も無視している。最近になってその理由が分かったので、ここで述べてみたい。 それは、僕には自分の意見や望みがないということだ。だから自分の考えや、人や社会はこうあるべきだという理想…

『1Q84』を読む4: 卵型の比喩

リトル・ピープルに対抗するもの。それこそが個人の願いである。自分固有の願いを持ち、育て、また自覚すること。それを守り切り、かなえること。これが『1Q84』の打ち出した中心的なテーマだ。 村上はそれを強調するために卵型の比喩というテクニックを用い…

『1Q84』を読む3: リトル・ピープルの正体

前回の記事で、見えない力が作用して、作用される側が力を行使するという構造について言及した。これはリトル・ピープルについても同じことが言える。 その前に確認しておくこととして、抑圧された怒りの発揮という構造がある。ある人物が他者から被害を受け…

『1Q84』を読む

あらためて村上春樹の『1Q84』を読み解いていく。本稿は読み解きをおこなった記事の目次である。 riktoh.hatenablog.com riktoh.hatenablog.com riktoh.hatenablog.com riktoh.hatenablog.com riktoh.hatenablog.com

『1Q84』を読む2: 海の直喩と月の隠喩

海の直喩 Book1 前編 Book1 後編 Book2 前編 Book2 後編 Book3 前編 Book3 後編 月の暗喩 解説 海の直喩 『1Q84』には海を軸にした直喩が頻出する。次に一覧を掲げたので確認していこう。ページ数は文庫版を参照している。 Book1 前編 P11 中年の運転手は、…

影と鏡像4

主人公が引き裂かれの状況に置かれている時に、二つの異なる道の融和を図らざるをえないのは、往々にして作者にとっても困難な道である。なにが善であるかなにが悪であるかが自明ではないという状況下で、作者はまったく新しい大柄な倫理観を創出して、読者…

『フランケンシュタイン』を読む

光文社古典新訳文庫でシェリーの『フランケンシュタイン』を読んだ。とても面白かった。そこで今回はこの本について書いてみたい。 この物語の基調として、すぐれた風景の描写がある。自然はつねに美しく、称賛の対象である。それは登場人物たちを取り囲み、…

影と鏡像3

本稿では次の作品群をとりあげる。 ポー『ウィリアム・ウィルソン』1839年 モーパッサン『オルラ』1886年 アンデルセン『影』1847年 シャミッソー『影をなくした男』1814年 ホフマン『大晦日の夜の冒険』1814年 ル・グウィン『影との戦い』1968年 村上春樹『…

影と鏡像2

影と鏡像という構造の中心にあるのは引き裂かれへの独自の態度である。影と鏡像は、主人公が二つの力に引き裂かれる状況に陥っているときに、その解決を、片方の抹消ではなく、両者の融合でおこなおうとする場合に立ち現れる。 物語の主人公は通常、何らかの…

村上春樹の小説のどこがいいのかと聞かれたら

僕は今まで答えるのに困る問いがあった。村上春樹の小説をまったく読んだことがない人から「彼の作品ってなにがいいの?」と尋ねられた場合に、どう答えればいいか分からなかったのだ。 すでにたくさん彼の小説を読んだことがあるような人が相手なら、つまり…

影と鏡像

影と鏡像という文学のテーマがある。これはシャミッソーの『影をなくした男』という小説から開始されたらしい。明らかな後継作品としてホフマンの『大晦日の夜の冒険』がある。まずはこれら二作品について僕の持論を述べ、それから関連する作品についても言…

『日はまた昇る』を読む4

前回の記事で説明した通り、『日はまた昇る』は『ドン・キホーテ』的な小説にとって替わることを狙って書かれた。ドン・キホーテをなぞらえた人物であるロバート・コーンが滅んで、若者ロメロがあらわれるという物語構成にその意図はよく表現されている。 に…

『1Q84』を読む5: 『城』のアンサーとしての『1Q84』

カフカの『城』については以前解説した。 riktoh.hatenablog.com riktoh.hatenablog.com 『城』が抱える本質的な問題に村上春樹の『1Q84』は答えていると思うので、今回はそれについて説明する。 『1Q84』が『城』を参照していることが明示されるのは次の箇…

僕の考える小説の歴史の仮説

いままで僕は小説の歴史というものを意識したことがなかった。それはとほうもなく巨大なもので、僕のような小者には到底理解できないに違いないと思いこんでいた。 でも最近はすこし考え方が変わってきた。別に歴史の全貌をとらえる必要はないのだ。というか…

嘘と疲労、そこからの回復ということ

嘘は文学において避けられないテーマである。小説は基本、嘘を書く。普通は嘘だけでほとんどを構築する。小説はそうした砂上の楼閣、雲のようなあやふやなものであるにも関わらず、読んだ人の心を動かし、確実に新しい何かを与える。それがすぐれた文学の在…

『天人五衰』の結末について

世の中には三島由紀夫の小説『天人五衰』のラストが理解できない人がいる。だから僕がそれをここで解説する。 まず、門跡の聡子が嘘をついていたり、記憶を忘れていたりすると思ってる読者がいるが、これはまったくの誤解である。それは聡子の外見からわかる…