村上春樹

『スプートニクの恋人』を読む

村上春樹の『スプートニクの恋人』を二回読んだ。とても良い小説だと思った。それについて書く。 まず確認しておきたいのは、この小説は構造の読解がむずかしいということである。読みやすい小説だし、良さも実感しやすい。村上春樹を読んだことがない人にも…

『国境の南、太陽の西』を読む

村上春樹の小説にくりかえし現れるテーマとして、完璧にくっついている一組の男女というものがある。たとえば『ノルウェイの森』のキズキと直子がそうである。 「私たちは普通の男女の関係とはずいぶん違ってたのよ。何かどこかの部分で肉体がくっつきあって…

『街とその不確かな壁』を読む

村上春樹の『街とその不確かな壁』について書く。 この本は別段面白くはないし感動的でもない。文章そのものにもこれといった刺激や独特の味はないから、読者としては最初から最後まで同じ味のコース料理を食べさせられているような気持ちになる。 それは仕…

『1Q84』を読む4: 卵型の比喩

リトル・ピープルに対抗するもの。それこそが個人の願いである。自分固有の願いを持ち、育て、また自覚すること。それを守り切り、かなえること。これが『1Q84』の打ち出した中心的なテーマだ。 村上はそれを強調するために卵型の比喩というテクニックを用い…

『1Q84』を読む3: リトル・ピープルの正体

前回の記事で、見えない力が作用して、作用される側が力を行使するという構造について言及した。これはリトル・ピープルについても同じことが言える。 その前に確認しておくこととして、抑圧された怒りの発揮という構造がある。ある人物が他者から被害を受け…

『1Q84』を読む

あらためて村上春樹の『1Q84』を読み解いていく。本稿は読み解きをおこなった記事の目次である。 riktoh.hatenablog.com riktoh.hatenablog.com riktoh.hatenablog.com riktoh.hatenablog.com riktoh.hatenablog.com

『1Q84』を読む2: 海の直喩と月の隠喩

海の直喩 Book1 前編 Book1 後編 Book2 前編 Book2 後編 Book3 前編 Book3 後編 月の暗喩 解説 海の直喩 『1Q84』には海を軸にした直喩が頻出する。次に一覧を掲げたので確認していこう。ページ数は文庫版を参照している。 Book1 前編 P11 中年の運転手は、…

村上春樹の小説のどこがいいのかと聞かれたら

僕は今まで答えるのに困る問いがあった。村上春樹の小説をまったく読んだことがない人から「彼の作品ってなにがいいの?」と尋ねられた場合に、どう答えればいいか分からなかったのだ。 すでにたくさん彼の小説を読んだことがあるような人が相手なら、つまり…

『1Q84』を読む5: 『城』のアンサーとしての『1Q84』

カフカの『城』については以前解説した。 riktoh.hatenablog.com riktoh.hatenablog.com 『城』が抱える本質的な問題に村上春樹の『1Q84』は答えていると思うので、今回はそれについて説明する。 『1Q84』が『城』を参照していることが明示されるのは次の箇…

『ドライブ・マイ・カー』を読む

村上春樹の『女のいない男たち』の全体については、すでに以前の記事で説明した。 本稿では、最初の短編『ドライブ・マイ・カー』の一部分をとりあげて説明する。主人公の家福が女性の運転について苦言を呈して、その後に男の運転について言及する箇所だ。次…

ニヒリズムと嘘

三島由紀夫はニヒリズムを極めた作家だ。その考えの要諦は次である。 この世のあらゆる事物には何の意味もない。 すなわち人生は無意味である。 したがって人は皆ただちに自殺しなければならない。 村上春樹はこのニヒリズムの克服を目指した作家である。そ…

どうすれば村上春樹の小説を理解できない人が理解できるようになるか本気で考えてみた。

この記事は、村上春樹の小説を理解できず、それどころか腹の底から彼を嫌い軽蔑している人に向けて書いた。 さて、村上作品を理解する方法だが、まずは次の二つの条件を達成する。 三島由紀夫の『豊饒の海』に心酔し、くりかえし読む。その結末に呪われた気…

入れ子構造とくりかえし

物語を入れ子構造にして、入れ子の外側と内側でそれぞれ同じ構造の物語を語ると、その作品は大きな効果を得る。 その種の作品として次の三つが挙げられる。いずれも以前に解説をしたので、各記事へのリンクを貼ったから、まずはそれらを読んでほしい。 象の…

『女のいない男たち』を読む

村上春樹の『女のいない男たち』について書く。 この本は短編集だが、互いに関連のある話が並んでいる。短編は明確な狙いのもとに順番が定められており、一本目の『ドライブマイカー』で穏やかなスタートを切って、五本目の『木野』でクライマックスを迎える…

『外套』を読む

ゴーゴリの短編小説『外套』を岩波文庫の平井肇訳で読んだので、それについて書く。 物語の大枠 この小説は基本的にはリアリズムで書かれている。人物の外見や事物の描写は細かく的確であり、生活や仕事のことまで踏み込まれて書かれている。そのような文体…

『納屋を焼く』を読む

村上春樹の短編『納屋を焼く』について考察する。 普通に読むと、納屋を焼いたことが原因となって「彼女」が失われたように読者には思われる。それはたいそう不思議なことであり、親しい友人が失われてしまったことの衝撃が印象に残る作品となっている。 こ…

村上春樹の文体の最大の特徴

『ノルウェイの森』以降の村上春樹の文体の最大の特徴は、文末に「である」または「であった」を置くことを避ける点にある。 「である」という断定は父性的である。それは「だ」という端的な、目の前にある事物を単にそのまま肯定するだけの断定とは在り方を…

鉄道について考える

僕はVtuberの文野環ちゃんが大好きだ。そして文野環ちゃんは鉄道が大好きだ。それで僕も最近鉄道というものに興味を持ち始めた。好きにはなれそうにないのだが、知的好奇心を抱くことはできそうだ。そこで今回は鉄道というものについて、文学作品を中心に考…

『1Q84』を読む1: 繰り返される「ヤナーチェック」

『1Q84』の最初の青豆の章には、文庫版では24ページの中に「ヤナーチェック」という固有名詞が13回も登場する。この繰り返しについて本記事では解説をおこなう。 セルバンテスは『ドン・キホーテ』中の短編『愚かな物好きの話』において、小説の最も基本的な…

村上春樹の『ウィズ・ザ・ビートルズ』について

村上春樹の短編『ウィズ・ザ・ビートルズ』は、内容が優れていることはもちろんだが、何より見るべきなのはその文体である。それは読みやすさというものに全てを懸けた文章だ。彼がそのような文体を作る理由は簡単で、良い言い方をすれば平易な書き方をする…

村上春樹の文章の特長

村上春樹の文章の特長について思う所を述べる。この記事は村上春樹を読んだことがない人でも読めるように書かれている。 テーマに沿ったリズム 村上は作品のテーマと合致した文章のリズムを作ることが上手い作家である。例えば『 色彩を持たない多崎つくると…

『風の歌を聴け』を読む

村上春樹の『風の歌を聴け』について書く。 本書は次のような文学論から始まっている。 「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」 しかしこの後すぐにデレク・ハートフィールドという作家について、その素晴らしさと自…

「分からない」から「分かる」へ、「分かる」から「分からない」へ

本記事では『ノルウェイの森』から『騎士団長殺し』までの、村上春樹の「分かる」ということへの姿勢の変化について語る。 『ノルウェイの森』と『ねじまき鳥クロニクル』 『ノルウェイの森』と『ねじまき鳥クロニクル』はセットの作品である。前者が意図せ…

世界で最も偉大な小説と二番目に偉大な小説

愚かな物好きの話 世界で最も偉大な小説はセルバンテスの『ドン・キホーテ』である。特にその中の短編『愚かな物好きの話』がそうだ。セルバンテスはそこで小説におけるもっとも基本的なテクニックを構築し、誰にでもわかる形で明らかにしてみせた。 それは…

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読む

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』はタイトルに「ハードボイルド」という言葉を含んでいる。本書中にヘミングウェイという言葉が出てくることを考慮すると、これはおそらくヘミングウェイの文学的スタイルを指した言葉だろう。具体的には『武…

村上春樹流の死と復活

『文學界』の2018年7月号と2019年8月号に掲載された村上春樹の短編『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』と『ウィズ・ザ・ビートルズ』について考察する。両者に共通しているのは死と復活というテーマである。 全体の構造 どちらの短編も最初に課…

『ノルウェイの森』を読む

本記事では村上春樹の『ノルウェイの森』を読み解いていく。引用時に示したページ数は講談社の文庫版にもとづいている。 歌詞との関連 まずはビートルズの曲について確認していこう。 歌詞のくわしい解説がこちらのページにあったので、参考にさせてもらった…

『海辺のカフカ』読解メモ・下巻

別記事からの続き。 P6 「星野青年」。 P61 ナカタさんと星野青年も図書館に行き着く。主人公の泊まっている図書館とは別だが、図書館であることに変わりはない。そこで彼らは調べ物をする。 P66 入り口の石を探していると、カーネル・サンダースが星野青年…

『海辺のカフカ』読解メモ・上巻

以前『海辺のカフカ』を読んだ時にメタファーについて説明する記事を書いた。 そのまま一回しか読まずに置いていたので、最近再読を初めた。以下は頭から読んでいった時のメモである。ページ数は文庫版に準拠している。この記事では上巻を扱う。 P43 主人公…

非対称な一対の存在

『1Q84』を読んでいてつくづく思うのは、この作品は論理の構築物であるということだ。これほど理路整然としたパズルも他にない。この記事では、本作の随所に顔を出す「非対称な一対の存在」について言及していく。 不揃いのペア 『1Q84』には“海”を軸にした…