村上春樹

ニヒリズムと嘘

三島由紀夫はニヒリズムを極めた作家だ。その考えの要諦は次である。 この世のあらゆる事物には何の意味もない。 すなわち人生は無意味である。 したがって人は皆ただちに自殺しなければならない。 村上春樹はこのニヒリズムの克服を目指した作家である。そ…

どうすれば村上春樹の小説を理解できない人が理解できるようになるか本気で考えてみた。

この記事は、村上春樹の小説を理解できず、それどころか腹の底から彼を嫌い軽蔑している人に向けて書いた。 さて、村上作品を理解する方法だが、まずは次の二つの条件を達成する。 三島由紀夫の『豊饒の海』に心酔し、くりかえし読む。その結末に呪われた気…

入れ子構造とくりかえし

物語を入れ子構造にして、入れ子の外側と内側でそれぞれ同じ構造の物語を語ると、その作品は大きな効果を得る。 その種の作品として次の三つが挙げられる。いずれも以前に解説をしたので、各記事へのリンクを貼ったから、まずはそれらを読んでほしい。 象の…

『女のいない男たち』を読む

村上春樹の『女のいない男たち』について書く。 この本は短編集だが、互いに関連のある話が並んでいる。短編は明確な狙いのもとに順番が定められており、一本目の『ドライブマイカー』で穏やかなスタートを切って、五本目の『木野』でクライマックスを迎える…

『外套』を読む

ゴーゴリの短編小説『外套』を岩波文庫の平井肇訳で読んだので、それについて書く。 物語の大枠 この小説は基本的にはリアリズムで書かれている。人物の外見や事物の描写は細かく的確であり、生活や仕事のことまで踏み込まれて書かれている。そのような文体…

『納屋を焼く』を読む

村上春樹の短編『納屋を焼く』について考察する。 普通に読むと、納屋を焼いたことが原因となって「彼女」が失われたように読者には思われる。それはたいそう不思議なことであり、親しい友人が失われてしまったことの衝撃が印象に残る作品となっている。 こ…

村上春樹の文体の最大の特徴

『ノルウェイの森』以降の村上春樹の文体の最大の特徴は、文末に「である」または「であった」を置くことを避ける点にある。 「である」という断定は父性的である。それは「だ」という端的な、目の前にある事物を単にそのまま肯定するだけの断定とは在り方を…

鉄道について考える

僕はVtuberの文野環ちゃんが大好きだ。そして文野環ちゃんは鉄道が大好きだ。それで僕も最近鉄道というものに興味を持ち始めた。好きにはなれそうにないのだが、知的好奇心を抱くことはできそうだ。そこで今回は鉄道というものについて、文学作品を中心に考…

13回のヤナーチェック

『1Q84』の最初の青豆の章には、文庫版では24ページの中に「ヤナーチェック」という固有名詞が13回も登場する。この繰り返しについて本記事では解説をおこなう。 セルバンテスは『ドン・キホーテ』中の短編『愚かな物好きの話』において、小説の最も基本的な…

村上春樹の『ウィズ・ザ・ビートルズ』について

村上春樹の短編『ウィズ・ザ・ビートルズ』は、内容が優れていることはもちろんだが、何より見るべきなのはその文体である。それは読みやすさというものに全てを懸けた文章だ。彼がそのような文体を作る理由は簡単で、良い言い方をすれば平易な書き方をする…

村上春樹の文章の特長

村上春樹の文章の特長について思う所を述べる。この記事は村上春樹を読んだことがない人でも読めるように書かれている。 テーマに沿ったリズム 村上は作品のテーマと合致した文章のリズムを作ることが上手い作家である。例えば『 色彩を持たない多崎つくると…

『風の歌を聴け』を読む

村上春樹の『風の歌を聴け』について書く。 本書は次のような文学論から始まっている。 「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」 しかしこの後すぐにデレク・ハートフィールドという作家について、その素晴らしさと自…

「分からない」から「分かる」へ、「分かる」から「分からない」へ

本記事では『ノルウェイの森』から『騎士団長殺し』までの、村上春樹の「分かる」ということへの姿勢の変化について語る。 『ノルウェイの森』と『ねじまき鳥クロニクル』 『ノルウェイの森』と『ねじまき鳥クロニクル』はセットの作品である。前者が意図せ…

世界で最も偉大な小説と二番目に偉大な小説

愚かな物好きの話 世界で最も偉大な小説はセルバンテスの『ドン・キホーテ』である。特にその中の短編『愚かな物好きの話』がそうだ。セルバンテスはそこで小説におけるもっとも基本的なテクニックを構築し、誰にでもわかる形で明らかにしてみせた。 それは…

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読む

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』はタイトルに「ハードボイルド」という言葉を含んでいる。本書中にヘミングウェイという言葉が出てくることを考慮すると、これはおそらくヘミングウェイの文学的スタイルを指した言葉だろう。具体的には『武…

村上春樹流の死と復活

『文學界』の2018年7月号と2019年8月号に掲載された村上春樹の短編『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』と『ウィズ・ザ・ビートルズ』について考察する。両者に共通しているのは死と復活というテーマである。 全体の構造 どちらの短編も最初に課…

『ノルウェイの森』を読む 3

次の記事からの続きとなっている。 riktoh.hatenablog.com 言いたいことを言葉に出来ないというテーマ 最後に「言いたいことを言葉に出来ない」というテーマを取り上げる。この主題は上巻P45で初めて直子の口を通して宣言される。 「うまくしゃべることがで…

『ノルウェイの森』を読む 2

次の記事からの続きとなっている。 riktoh.hatenablog.com 生と死の包含関係 本作には「あるものが別のものを内に含む」という構造が所々で顔を見せるが、これは作品を読み解く鍵となっている。このような包含関係には二種類のものがある。一つは生が死を含…

『ノルウェイの森』を読む 1

本記事では村上春樹の『ノルウェイの森』を読み解いていく。引用時に示したページ数は講談社の文庫版にもとづいている。 歌詞との関連 まずはビートルズの曲について確認していこう。 歌詞のくわしい解説がこちらのページにあったので、参考にさせてもらった…

『海辺のカフカ』読解メモ・下巻

別記事からの続き。 P6 「星野青年」。 P61 ナカタさんと星野青年も図書館に行き着く。主人公の泊まっている図書館とは別だが、図書館であることに変わりはない。そこで彼らは調べ物をする。 P66 入り口の石を探していると、カーネル・サンダースが星野青年…

『海辺のカフカ』読解メモ・上巻

以前『海辺のカフカ』を読んだ時にメタファーについて説明する記事を書いた。 そのまま一回しか読まずに置いていたので、最近再読を初めた。以下は頭から読んでいった時のメモである。ページ数は文庫版に準拠している。この記事では上巻を扱う。 P43 主人公…

非対称な一対の存在

『1Q84』を読んでいてつくづく思うのは、この作品は論理の構築物であるということだ。これほど理路整然としたパズルも他にない。この記事では、本作の随所に顔を出す「非対称な一対の存在」について言及していく。 不揃いのペア 『1Q84』には“海”を軸にした…

冒頭に置かれた矛盾

冒頭に矛盾した表現を置いている小説は数多い。それらはしばしば小説のテーマと関わりがあり、新しい作品世界を立ち上げるための起爆力にもなっている。次にひとつ例を挙げる。 長いこと私は早めに寝むことにしていた。ときにはロウソクを消すとすぐに目がふ…

『騎士団長殺し』第1部・2部の概観

この記事では村上春樹の『騎士団長殺し』の第1部・2部について、一読して気がついたことを記載している。つっこんだ考察はおこなっていない。 移動について 『1Q84』は二つのパートに分かれて話が進むが、天吾の側はあまり移動せず部屋にとどまるのに対して…

指の多義性

本稿では『多崎つくる』について、三つの項目を書いた。なおこれまでの記事はこちら。 二重の自己 『多崎つくる』の作中では、自己との解離、分裂、あるいは二重性という現象について繰り返し言及がなされている。 前回の記事で語ったように、主人公は自分の…

因果関係というテーマ

本稿はこちらの記事から続いている。 riktoh.hatenablog.com “無害” なミステリー小説 『多崎つくる』の主人公に与えられる問いは「友人に絶縁された理由は何か」というものだ。これは因果関係を把握するという問題に等しく、この種の問題意識が本作のあちこ…

影としての作品

本稿では『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が『1Q84』のペアとして存在している作品であることをまず述べる。その後べつの記事で、この事実を手がかりにして両作に共通する因果関係というテーマを読み解いていく。 自動車 vs 電車 『色彩を持た…

分裂と統合

『1Q84』には同じ名詞や字句のくりかえしが作中に頻繁に現れる。本稿ではその表現の持つ文学的な意味を探究する。 同じ字句の繰り返し 次の一文は、天吾が『空気さなぎ』の改稿許可を得るために戎野先生に初めて会いに行く場面から引用したものである。 呼吸…

『1Q84』の隠喩表現に関する補足

今までこのブログは二回に渡って『1Q84』の解説をおこなってきた。 卵を温めることについて書いた小説 - コスタリカ307 逆方向の力 - コスタリカ307 本稿ではこれまで議論してきた『1Q84』の隠喩表現について整理をおこない、また補完をおこなう。その性質は…

『海辺のカフカ』におけるメタファーの性質

『海辺のカフカ』には「メタファー」という言葉が頻繁に登場するのだが、これは本作を読み解く上での鍵となっている。そこで本稿ではその意味や性質について整理してみた。 主体がメタファーを作り上げる 簡潔に述べると、『海辺のカフカ』流の「メタファー…