『金閣寺』の物語について

幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。

『金閣寺』において父という存在は重要である。金閣寺の美について主人公に教え込むのは実の父親であり、それを表す文が最初に置かれているからだ。

作中に、父親的な登場人物や存在が多い。

  • 実の父親
  • 田山道詮和尚
  • 禅海和尚
  • 金閣寺

対して母親という存在を考えると、それはずるくて卑しい、俗世的な人物として描かれている。彼女は息子の出世を望むが、それは言い換えれば、金閣寺を美ではなく単なる財産としてみなす態度である。この女は夫を裏切って他の男と情事を交わす。したがって母親は主人公から見て、父親と対立する存在として描かれていると分かる。

この作品の一つの柱として、主人公の信じている理想的な美と俗世的な価値観の対立という構造がある。父親は当然前者の側の人間であり、母親や道詮和尚は俗世的な価値観の側に配されている人物だ。金閣寺が道詮和尚の支配下にあって商売道具として扱われているという観点を考えると、金閣寺は美と俗世の両方の価値を持っていると言えよう。この点を踏まえると、物語の最終地点は次のように解釈ができる。すなわち作中で主人公は成長を遂げて、自分を支配していた美と俗世という価値観の両方を破壊してそこから脱却し、一切信じられる物のない虚無的状態に至るが、それにも関わらず人生を肯定して、生き抜くことを決意する。

また、全体を顧みると、この小説はほとんどの人物が男性で構成されている。上に述べた父性的な人物に加えて、友人も柏木と鶴川だけであり、両者ともに男である。数だけなら女性もそれなりに出てくるが、人格らしい人格を持っているのは母親だけであって、女性はみんな性の対象以上の意味合いを持っていない。人格を持って書かれているのはほとんどが男性なのである。主人公は金閣を焼く直前に娼婦を買う。このタイミングと行為は重要である。つまり主人公が成長を遂げてそれを証しするにあたって、異性の協力は、単なる性欲の捌け口以上のことは求められていないのだ。彼は女というものを信じない。それは言い換えれば、男と女という異なる存在の合体を認めないということ、すなわち異なる価値観の融和と合一を認めないということなのである。こう捉えると、前述した、主人公の最終地点が虚無的であることと合致するので、作品の理解が進むだろう。

作中に対立の構造が多い。前述した美と俗世という価値観だけでなく、行為と認識、柏木と鶴川、あるいは道詮和尚と禅海和尚などである。対立構造の連発は、文体とともに、『金閣寺』の雰囲気を決定している。この作品の基調は緊張である。緊張は最後に解ける。主人公は煙草を吸い、「一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと」思う。

美というテーマについて考える。これこそが作中のもっとも大きなテーマであり、核心に据えられたものである。美についての描写や思念は、三島の魂の生の声が聞こえてくるような迫力を備えている。主人公は取り憑かれていると言っていいほど美へ強い憧れを抱いており、可能なら美と一体になって死にたいと願っている。しかし彼は美の側からそれを拒否されている。

私という存在は、美から疎外されたものなのだ。

この事実はまったく変化せず、結末に至っても変わらない。

扉は開かない。三階の鍵は堅固にかかっている。

この箇所は序盤の「その最初の音が、私の内界と外界との間の扉の鍵のようなものであるのに、鍵がうまくあいたためしがない。」という箇所から伏線が張られているので、非常に力点が置かれていると分かる。

主人公は、というより三島は、美を称賛し陶酔するだけでは満足できず、それと一体になることを望むが、できない。美に陶酔する自分と、美と融合できない自分という二者に彼は引き裂かれているのである。最終的に彼は美を破壊することによってこの二律背反を解消する。『金閣寺』の本筋をできる限り短くまとめると、上記のようになる。

後は細かい点を見ていく。

南泉斬猫の挿話だが、老師の解説は、最初に殺人刀があり、次に活人剣がある、というものである。

南泉和尚が猫を斬ったのは、自我の迷妄を断ち、妄念妄想の根源を斬ったのである。非情の実践によって、猫の首を斬り、一切の矛盾、対立、自他の確執を断ったのである。

この解説はラストの話運びの予言になっている。主人公は金閣寺を燃やすことで己を縛っていた価値観を破壊して自由になる。それが殺人刀であり、その後、主人公は自死を思うのだが、やはりそれはやめて生きていこうと思う。これが活人剣ということである。

米兵が娼婦を踏むように主人公に命令する挿話は、やはり女性への軽蔑心の表れだろう。注意したいのは主人公に指示をするときの米兵の描写である。溝口にとっては彼が恐ろしく感じられず、むしろ優しい父性とも言うべきものを見せている点を鑑みると、この話は父親が母親へ復讐するのを主人公が代行したと受け取れる。