人の話を聞く

前回の記事の続きである。

今書くべき小説は、自分を語った作品ではない。人々はそういうものにはもううんざりしている。人の話など聞きたくないと思っている。むしろ自分の話をしたいと思い、自分の話を黙って聞いてくれる人を探している。そういう時代に自分を語る小説を出しても売れるわけがない。それが道理だろう。

ではどうすればいいのか。逆に考えればいいのだ。人の話を聞けばいい。『心は孤独な狩人』の登場人物シンガーには大勢のひとが訪ねてくるが、彼らはシンガーには自分の話を聞いてもらえるので、それを目当てにやってくるのだ。つまり今の時代においては小説はシンガーのような存在になればいい。小説版シンガーを作ればヒットするに違いないのだ。

しかしこれはどう考えても矛盾である。小説とは作者が文章を書いて、読者が黙ってそれを読むものだ。むしろ人の話を聞くのとは逆の行為である。

そこを、頑張る。読者が文章を読んでいるときに、まるで自分の話を聞いてもらえているかのような感覚を味わってもらう。そういう小説を書くということが今求められていることだと言える。でもそれは明らかに矛盾じゃないか、という意見もあるだろう。どうすれば僕らは前述のような小説が書けるのだろうか。

それは、相手が意識上では考えることができておらず、無意識下では感じていることを言語化してやることだ。「もやもやしたもの」に形を与え、物語という形でパッケージングしてやることだ。その際、「自分」はどうでもいい。自分が語りたいことや伝えたいことは、完全に捨て去る。ただ全身全霊で「相手」にフォーカスする。自分はただ徹底的に相手を聴くための耳になる。そして相手から出てきたものを書き連ねる。そうすれば人に読んでもらえるような小説が書けるだろう。そういう作品の格好の例として『夢応の鯉魚』がある。