幽霊はいない

多くの人が『カラマーゾフの兄弟』がこれほどヒットし、読んだ人に絶大な感動を与えることについて、特に理由を考えない。それは『カラマーゾフの兄弟』がすごいからだ、と考える。あるいはドストフエスキーが偉人だから、と考える。『カラマーゾフの兄弟』が傑作なのは自分が生まれる前から人類が共有している認識なのだ、と思う。『ドン・キホーテ』や『日はまた昇る』などについても彼らは同じ態度をとる。

僕はそう考えない。『カラマーゾフの兄弟』がすごいとも思わないし、ドストフエスキーが偉人であるとも思わない。『カラマーゾフの兄弟』が読者に感動を与えるのには、人間に説明可能な明確な理由がある、と考える。『カラマーゾフの兄弟』が読者に感動を与えるメカニズムというものを考える。

読者がするのは、当然だが文章を目で追うことだけだ。だから文章そのものに感動の由縁があるのは間違いない。そこで僕はこう考える。人間の心は機械であり、文章を読ませることでその機械のボタンを押したり歯車を回したりすることができる、と考える。そのボタンの押し方や歯車の回し方についてドストフエスキーは習熟していたに違いない、と考える。彼はどこをどう押せば人に大きな感動を与えられるかを知っていたのだ。だから『カラマーゾフの兄弟』を書くことができた。

僕は人の心に魂はない、と考えている。神様はいないし、幽霊はいないと思う。むろん僕は全知全能の存在じゃないから、人が内部に蔵している機構のすべてを知っているわけではない。僕が知っているのはほんの一部だ。もっとも、それでも普通の人よりはだいぶ知悉している。僕はその知識を活用して新たな小説を書いていきたいと思っている。