海の直喩
『1Q84』には海を軸にした直喩が頻出する。次に一覧を掲げたので確認していこう。ページ数は文庫版を参照している。
Book1 前編
- P11 中年の運転手は、まるで舳先に立って不吉な潮目を読む老練な漁師のように、前方に途切れなく並んだ車の列を、ただ口を閉ざして見つめていた。
- P13 そのたびに彼女は、大海原に単身投げ出された孤独な漂流者のような気持ちになった。
- p28 荒波の上に浮かんだ航空母艦の甲板を歩いているようだ。
- p35 大きな洪水に見舞われた街の尖塔のように、その記憶はただひとつ孤立し、濁った水面に顔を突き出している。
- p37 無音の津波のように圧倒的に押し寄せてくる。
- p47 「水に放り込んで、浮かぶか沈むか見てみろ。そういうことか?」
- p70 タイトなミニスカートだったが、それでも時折下から吹き込む強い風にあおられてヨットの帆のようにふくらみ、身体が持ち上げられて不安定になった。
- p82 青豆は目を閉じて何を思うともなく、遠い潮騒に耳を澄ませるように自分の放尿の音を聞いていた。
- p160 いろんな書き直しのアイデアが、太古の海における生命萌芽のざわめきのように、彼の頭の中に浮かんだり消えたりしていた。
- p245 鯨が水面に浮上し、巨大な肺の空気をそっくり入れ換えるときのように。
- p297 水の中にいる時のように音がくぐもった。
- p323 蟹が波打ち際を逃げていくみたいに。
Book1 後編
- p157 魚が川を遡るように
- p183 深い池に石を放り込む。
- p186 池の鯉のように
- p224 世界中の海がその潮の流れを調整していた。
- p238 清盛の妻時子は幼い安徳天皇を抱いて入水する。
- p282 廃船についた牡蠣のように
- p283 鉄砲水
- p285 荒海に乗り出した小さな船の船長になった気分だった。
Book2 前編
- p58 大波に洗われた浜辺の杭のように
- p65 はまぐりの生まれかわりじゃないかと言われてます。
- p122 まるで波打ち際に立って、強い退き波に足をさらわれている人のように。
- p158 疑問符のプール
- p163 大きな洪水のあとの河川敷
- p175 浮き輪
- p176 それは深い水の底にひとつだけ沈んだ黒い石のような
- たっぷりとした情報の水源も、
- P202 ※ 天吾が、現実に海に近づく。父親のいる療養所を訪ねる。
- P228 たった一人で夜の海に投げ出され、浮かんでいるようなものです。
- p242 ちょうど船の乗客がデッキから、通り過ぎてい来る島のかたちを見つめるみたいに。
- P252 入江で嵐を避ける船のように
- p291 川の流れが流木やごみによって一時的に堰き止められてしまっているみたいに。
- p293 多くの水路が堰き止められ、堤が崩されている。
Book2 後編
- p31 高い丘に上り、切り立った断崖から眼下に海峡を見渡すみたいに。
- p54 遠くから聞こえてくる海鳴りのようなうずきだ。
- p75 大きな碇のように重い説得力だ。
- p106 幽霊船みたいに
- p142 大きな渦に引き寄せられるみたいに
Book3 前編
- p44 高いマストに一人で上り、広大な海原に魚群やら潜望鏡の不吉な影やらを求める見張りの船員のように。
- p47 深い海底からようやく浮かび上がってきた人のように
- p191 そんな夢は深海に住む魚と同じで、
- p192 まるで大きな河口で、寄せる海水と流れ込む淡水がせめぎ合うように。
- p209 砂をかぶった海底のひらめみたいに
- p247 豊かな水脈と同じように
- p264 岩に張りついた牡蠣が簡単には殻を開かないのと同じように
- p358 干上がった湖の底のような
Book3 後編
- p21 さざ波ひとつない広い湖面を歩いて
- p41 雪解けの川を海に向けて運ばれていく堅い氷塊のようにも見える。
- p51 プールに飛び込む前に、水深を確認する
- p79 氷河の奥に閉じこめられた古代の化石のような
- p106 疼きは海岸に次々に寄せる穏やかな波のようにやってきては去っていった。
- p139 ウミガメやイルカが、時が来れば水面に顔を出して呼吸をしなくてはならないのと同じだ。
- p256 海の底に行ってもらうことにする。
- p357 夜の街が、夜光虫に彩られた海流のように流れ過ぎていった。
- p377 生まれて初めて大洋を目の前にした人が波打ち際に立って、次から次へと砕ける波を呆然と見つめるように
月の暗喩
1Q84年の世界には二つの月が空に架かっている。この二つの月はさまざまな物を暗示している。次に僕が思いつくものを羅列してみた。
- 天吾とふかえり
- 天吾と青豆
- リーダーとふかえり
- 青豆のサイズの違う乳房
- 母と娘
- マザとドウタ
- テレビとアンテナ
- 地球と月
解説
本稿ではこうした二つの表現にどのような意図が込められているのかを考えていく。
ひとつには、女性の妊娠ということが作品の結末で大きな意味を持ってくるので、このような表現が用意されているということが言える。月経の周期は月の満ち欠けのそれから大きな影響を受けている。月から影響を受けているというのは、潮の満ち引きについても同じことが言える。したがってそこには月-潮-月経-妊娠というイメージの連関が成立しているのだ。作者が女性の妊娠という肯定的な結末に向かってエネルギーを注ぎ込むために、言わばその準備として、力を思うままに振るって養成する目的としてこのような二種の比喩が用意されているのだと考えられる。
二つめには、見えない力、すなわち月の引力が海に作用して潮の満ち引きという具体的な現象を引き起こしているという、構造そのものが重要であると言える。作用を及ぼしている側は沈黙しており、及ぼされる側は雄弁であるという関係性がそこには成り立っている。注意深く見てみると、こうした力の作用の構造が作中のいろんなところに顔を出していることが分かる。理解しやすいのはテレビだろう。放送局が電波、すなわち見えない力を発し、テレビがそれを再生する。そして映像と音という雄弁な結果をもたらす。ラジオも似たようなものだ。またリトル・ピープルとレシヴァの関係性もそれに似ている。リトル・ピープルそのものはなかなか現実に対して思うような力を振るえない。それはほとんど透明に近い存在である。しかし多数のリトル・ピープルが結集してレシヴァに注ぎ込まれると、それは途端に猛烈な力を振るうようになる。その例が宗教法人「さきがけ」のリーダーだと考えられる。
三つめは、先行作品との関係性だ。これからの議論で明らかになっていくことだが、『1Q84』は三島の『豊饒の海』を参照している。徹底して三島に反抗し、攻撃を加えているのが『1Q84』の特徴だと言える。すなわち、『豊饒の海』のタイトルは皮肉としてつけられている。豊饒の海とは月面の特定の領域を指した言葉だが、じっさいにはそこに海などない。現実にはそこはカラカラに乾いた場所だ。三島がこの名前を通じて言いたいことは、言葉には何の力もないし、したがって文学もまったくの無力であるということだ。村上はそれを否定したかった。だから執拗に言葉でもって「海は在る」と主張しているのだと考えられる。
二つの月について考えてみる。その特徴は限られた人物しか目撃できない点にある。具体的には天吾と青豆と牛河の三人である。ただし海の直喩に関してはけっこう多くの人が口にしている。牛河が訪ねていった女教師やタマルも口にしている。つまりそこには、大勢の人が月から見えない力を受けているにも関わらず、その根源を認知できていない、という性質が表れている。原因を把握できているのはじつは主人公格の人物だけなのだ。これは後で解説するが、自己の望みの自覚ということと関連がある。