『青い花束』を読む

岩波文庫の『20世紀ラテンアメリカ短篇選』で、パスの『青い花束』を読んだ。非常に短い作品だがとてもよかったので、この記事を書くことにした。

この作品の物語展開は四つに分けられる。まず特に意味を持たない描写だけのパートがあり、次に世界の美しさを称賛するパートがあり、目を狙われる危機のパートがあり、最後に村から逃走するパートがあって完結する。綺麗な構成である。

作品の白眉は唐突な危機の場面にある。そこで脅迫者は「青い目」を求めていると言う。脅迫者の動機の美しさに我々ははっとさせられる。その美はじつに身体の損傷の危機と裏腹なのだ。

美に耽溺することは死に近づくことであるという真理がここには開示されている。それはギリシャ神話のナルキッソスと同じだ。あるいはモーパッサンの『オルラ』や三島の『金閣寺』などもそうであろう。美を十全に感じ、ストレートにその中へ入っていくことは、必ず死を呼び寄せるものなのである。

『青い花束』では主人公は何とか生き延びる。これは、彼の美への耽溺は「そこそこ」だったので、なんとか死なずに済んだのだと捉えられる。冒頭の起床の場面は単なる即物的な描写にとどまっているので、これが彼を救ったのかもしれない。たとえば『オルラ』などは最初から故郷を無条件に賛美しているが、それは実に無防備な姿勢なので、主人公は最後に破滅すると考えられる。これに対して『青い花束』の場合は「日常」から「非日常」への経過が存在するので、「日常」へと戻っていくことが可能なのだと捉えられる。

なんにせよ名作だと思う。僕はこの短編を記憶にとどめることだろう。