『ユービック』を読む

フィリップ・K・ディックの『ユービック』を読んだ。それについて書く。

この作品にはあらゆるところに「二つの力の対立」というモチーフが姿を見せる。ランシター合作社とレイモンド・ホリスの対立もそうだし、超能力者と不活性者の対立もそれに当たるし、エラとジョリーの対立もそうだ。いや、そもそも安息所にいる半生者も生と死のはざまにいる存在であり、そこには二つの力の拮抗があらわれていると言えるだろう。じつは物語の序盤にでてくる半生者ーーもっと言うとエラーーこそがこの作品を読み解くポイントなのだ。

エラはランシターのパートナーである。この物語はランシターの視点から始まり、途中でジョーに視点が移る。物語の大部分はジョーの視点で進行するが、考えようによっては最初の主人公役はランシターであると受け取れる。

その主人公の妻がエラであり、彼女はランシターにパートナーとして協力している。言い換えれば男と女という二つの対立項が、愛という糊で融合していると受け取れる。ここでは二つの力が対立せず融和している。

パットはエラの裏返しの存在であり、ジョーと対立しているというよりは、愛の反対を体現する役回りといったほうが納得できる。彼女はサディスト的につぎつぎと登場人物を殺していく。事実としてはそれは誤解なのだが、物語の意味としてはそうなのである。

ジョーはそれーー愛の反対物としての憎しみーーにさんざん苦しめられたあとに、すべてを滅ぼすジョリーと遭遇し、さらに絞り上げられる。それからエラに出会う。物語の感動的なポイントはここにある。我々読者は徹底的に苦しめられたあとに、もはや事態の解決をあきらめて、ただ救われたいという本能から若い女を探し求める。それは叶えられる。彼女はレストランについてきてくれるのだ。いや、それどころかじつは彼女はエラであり、救いの力であるユービックを与えてくれさえする。愛はすべてに勝るのである。