僕の文学に対する姿勢

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僕は小説を読むことがあまり好きじゃないらしい。以前からなんとなく自覚してはいたが、じつのところ小説が苦手なのだ。字ばかりで絵がない本なんて気が滅入る。それが本音だ。たぶん世の中の漫画が『チェンソーマン』や『ヒストリエ』みたいなものばかりだったら、僕は小説を一冊も読まなかったであろう。実際は違うので、仕方なく小説を、それも古典を読んでいる。今は『カラマーゾフの兄弟』を読んでいる。三週目である。

僕は文学が好きだ。文学性が高ければ小説でも漫画でもアニメでも構わない。なんならスマホゲームでもいいと思っている。絵がある分そっちの方が気楽だ。

僕の文学に対する姿勢について

文学に興味がある人はとても少ない。本当に少ない。小説を読むのが好きな人はそれなりにいても、文学が好きという人はほとんど見かけない。正確に言うと、Discordやツイッターなどの交流の場で文学が好きという人を見たことがない。事実、Discordやツイッターで文学の読書会を告知しても、まったく人が来ない。

さらに、人が来ても、彼らと僕とで文学に対する姿勢が異なるので、話がかみ合わないことが多い。僕はできる限り文学を分解したい。人の心は単なる機械であり、文学はそれを操作するための手順書に過ぎないというのが僕の認識だ。小説はいわばプログラムである。そのプログラムが駆使しているテクニックやアルゴリズムを正確に把握したいというのが、僕の欲求である。でも同じことを考えている人は少ない。僕にはそれがとても悲しい。