『チェンソーマン』を読んで思ったこと

藤本タツキの漫画『チェンソーマン』を読んだ。実に面白かった。

内容は、とても文学的な物語だった。エンタメ色は薄い。画風もキャラクターデザインも物語も全然キャッチーではなかった。それでも物語の文学的な魅力が素晴らしかったので、僕はノックアウトされてしまった。これは今後の漫画の歴史の中で一つの指標として機能する作品になるだろうな、と思った。漫画家を目指す人はみな『チェンソーマン』を読んで感銘を受け、分析し、面白い漫画を描くにはどうすればいいのかを考え、学んでいくのだろう。

ところで僕はこの漫画を読んでつくづく思った。今の小説って本当につまらないんだな、と。僕は子供の頃は漫画もライトノベルもたくさん読んでいた。大人になった今でも漫画はそこそこ読む。でもライトノベルは一切読まない。というか新しい小説は、村上春樹の作品以外はまったく読まない。ミステリーもSFもエンタメも読まない。そしてそれは、今の小説がつまらないということを示しているのだと思っている。

なぜなら、僕は自分の感性と直観を大いに信じているからだ。世の中にこれほど優れたセンサーはないと信じ切っている。そしてそんなセンサーがまったく反応しないということは、小説がつまらないということを意味しているに違いないと思うのだ。本当に寸毫も興味を覚えないのである。

一昔前までは多くの人がこう信じていたはずだ。漫画やアニメはエンタメにおいては優れているかもしれない。だが文学という面では小説の方がずっと格上である、と。

しかしその図式も今や崩れた。もはや文学においても漫画やアニメの方が小説より優れている。これが分からない人は時代についていけていないのだ。

さて、そんな僕だが、実は小説が好きである。だからここ五~六年はずっと小説の古典を読んでいる。古典以外は読む必要がないと割り切っているのだ。今の小説は本当につまらないし、それを読んでいる人も書く人も実につまらない人物だと思う。これからの若者は、文学を作りたいなら漫画家やアニメの監督を目指した方がいいだろう。