『家を背負うということ』とカフカの作品を比較する

岩波現代文庫の『臨床家 河合隼雄』という本の、冒頭におさめられている『家を背負うということ』を、僕はもう何度も読んでいる。すでに十回は読んだと思う。

これはある女性の治療の記録である。岩宮恵子という臨床心理士による女性の面談記録と、その治療の過程を解説した河合隼雄の文章で構成されている。

この話はカフカの『変身』と比較すると非常に面白い。『変身』については以前に次の記事で解説した。

riktoh.hatenablog.com

面白いと思うのは、グレゴールとこの女性の悩みは本質が共通しているのに、しかし話の結末が正反対であることだ。

まず共通点を述べると、二人とも仕事を辞めている。彼らは共に無気力に陥っており、家の中にとどまったまま、外の社会とつながりを持てないでいる。グレゴールも女性も家族という重荷を背負っており、そこから抜け出せないでいるのだが、それが無気力のすべての原因となっている。

また、二人とも異性像が未熟である。グレゴールにとって女性とは、額縁におさまった写真であり、妹のことである。クライエントの女性においてもこれは同じで、夢や箱庭治療のなかに恋愛対象としての異性は出てこない。彼女にとって異性とは、小学生のままの弟のことなのだ。

そのような似た境遇にあるにも関わらず、物語の結末は著しく異なっている。グレゴールは家族に殺され、家族がその妹の結婚を望むところで小説は幕を閉じるのだが、これは言い換えると、妹がグレゴールの存在を否定していると受け取れる。しかしクライエントの女性の場合は、復職し、正社員となって再び外の世界へと繋がっていく。しかも彼女は最後に「今までどんな形にしろ、私のしていることにちゃんと反応してくれたのは弟だけだった」と言って、弟のことを肯定するのである。二人はまったく正反対の結末を迎えるのだ。

さらに、『城』とも類似点がある。『城』の登場人物は頻繁に入眠するのだが、それが面会の途中で治療者に襲ってくる暴力的な眠気と似ているのだ。『城』については、以前に次の記事で解説した。

riktoh.hatenablog.com

『城』の人物もクライエントの女性も、心理的なエネルギーが無意識層においてスタックしてしまっており、意識の水準まで力が昇っていかない。それで彼らは何もできないのだ。その何もできないということの具体的な表れとして、眠りはある。治療者はクライエントの心の在り方とシンクロしていたので、影響を受けて眠気に襲われたのである。