過去と未来を究める

今日は時間について書く。

僕は過去を喝破したい。過去とはなにかを把握して、それを自分の文学に活かしたいと思っている。

それには次の二つを摂取することだと思っている。すなわち小説「失われた時を求めて」とユーミンの歌だ。

「失われた時を求めて」は題名からしてすでに「過去」の横綱級の力がある。過去代表、という感じの小説だ。僕はこの小説をじつは完読していない。間の四冊ぐらいをすっ飛ばして最後まで読んだので、途中に抜けがあるのだ。だから抜かした間の四冊を読み、かつもう一度最初から最後まで読み通すということをしたい。それでだいぶ過去のことが分かるはずだ。

しかしそれには根気がいる。そこでいつでも気軽にできることとして、ユーミンの歌を聴くということをしたい。彼女はいつでも過去をふりかえっている。「あの日に帰りたい」。「卒業写真」。「『いちご白書』をもう一度」。過去について知りたければユーミンを聴け、という感じだ。

次に、僕は未来を喝破したい。未来とはなにかを把握し、それを自分の文学のなかに登場させたい。

それには何よりも旧約聖書を読むことだと思っている。『タルムード入門』という本があるのだが、その中でおおむね次のような意味の記述が出てくる。すなわち、ほかの民族が神話の中で過去に救いを求めたのに対して、古代のユダヤ民族は未来に救いを求めた、というのだ。僕はそれに目を見開かれた。これはだいぶ時間というものの本質に迫る記述だな、と思った。旧約聖書も、じつは僕は拾い読みしかしていない。歴史や神学の知識がいるのでさすがに100%の喝破は不可能だが、できる範囲でその本質を学びたいと思っている。

とは言え、やっぱりそれにはかなりの集中力を持続させなければならない。読んで、長い期間考え続けなければならない。けっこう大変なことだ。

そこで僕は、つねに新しいロックを聴く、ということをしようと思う。それならヘッドホンとスマートフォンがあればどこでもできる。ここ数年で一番気に入っているのはPolyphiaのYasという曲だ。ロックを聴くのがどう「未来」に繋がるのかは正直僕にもよく分からないが、直感でこれが正しい、と思うのだ。気軽に続けられることなので、やっていこう、と思っている。