『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読む

フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んだ。それについて書く。

プロット

作中の重要な出来事を列挙した。

  • P7
    • ムード・オルガン登場
    • 主人公リック・デッカード登場
    • 主人公の妻イーラン登場
  • P8-13
    • 主人公夫妻の不和がえがかれる
  • P13
    • 電気羊登場
  • P14
    • 電気動物に関するマナーが提示される。偽物かと他人に尋ねてはならない
    • 最終大戦、死の灰。舞台が退廃した世界であることが明かされる
  • P15
    • 隣人バーバー登場
    • 生きた本物の馬が登場
  • P17
    • マーサー教という言葉が登場
  • P15-22
    • リックとバーバーの会話の中で以下のことが示される
      • 生きた動物を飼うことの高い道徳的価値
      • リックが偽物の電気羊を飼っていること
      • リックが本物の生きた動物を切実に望んでいること
      • リックの職業がアンドロイド狩りであり、賞金で動物が買えるかもしれないこと
  • P25
    • イジドア登場。視点がイジドアに切り替わる
    • スペシャルのみじめな立場について説明。イジドアもまたスペシャルである
  • P29
    • イジドアの住む廃墟ビルについての説明。キップルという概念登場
  • P31
    • エンパシーボックス登場。イジドアがエンパシーボックスを使う様子が説明される
    • マーサー登場。<融合>が語られる。
  • P33-35
    • マーサーの過去が語られる。動物が大好きで、死んだ動物を甦らせる能力があったが、それを禁じられた
    • 墓穴世界という概念が登場
    • マーサーはロバとヒキガエルが特に大好きである
  • P37
    • リックに視点が切り替わる
    • リックの上司・ブライアント警視登場
  • P40
    • ネクサス6型アンドロイドの概念登場。賢い。知能は人間のスペシャルを上回る。
    • フォークト=カンプフ感情移入度検査法の概念登場
    • アンドロイドは<融合>ができない
  • P42
    • 「人間型ロボットは、どうやら本質的に独居性の捕食者らしい。リックは、アンドロイドをそういう目で見ることにしていた。」
  • P43
    • リックがハッピー・ドック動物園に映話するが、ダチョウのあまりの高さに手が出せない。
  • P47
    • リックにブライアント警視から命令がくだる。ローゼン協会に行き、フォークト=カンプフ検査法をテストせよ。ブライアント警視は検査法の確かさを疑っている。
  • P52
    • リックがローゼン協会に着く。
    • レイチェル登場。
  • P53
    • レイチェルはリックを批判する。「アンドロイドを無生物だと考えて平気なのね。だから廃棄処理とやらもできるんだわ」
    • リックはローゼン協会が多くの動物を所有していることに驚き、あこがれを抱く。
  • P58
    • エルドン登場
  • P61
    • リックがフォークト=カンプフ検査法について説明する
  • P63-72
    • リックがレイチェルを検査する。エルドンたちはテストの結果を受けて、フォークト=カンプフ検査法は無効であると主張する。レイチェルは実際にはアンドロイドではないのに、検査は彼女をアンドロイドと認定したと彼らは主張する。
  • P68
    • 骨髄分析の概念登場。もっとも確実な判定方法である。
  • P73-76
    • エルドンたちはリックの買収を試みる
  • P77
    • リックは最後の質問を行い、レイチェルが本当はアンドロイドであることを看破する
  • P78
    • アンドロイドにはときに偽の記憶が植え付けられていることがあると説明される
    • フォークト=カンプフ検査法は有効であると結論される
  • P81
    • イジドアに視点が切り替わる
    • バスター・フレンドリー登場
  • P82-90
    • アンドロイドのプリスが登場。イジドアと邂逅する。イジドアは交流に期待を持っていたが、プリスはつれない。
  • P93-101
    • イジドアは仕事で猫を引き取ったが、模造品であると勘違いする。生きた本物の猫は死ぬ。
  • P97-98
    • バスター・フレンドリーはマーサー教を蔑んでいる
  • P105-
    • 猫を渡した依頼主は女性。イジドアは彼女と映話して猫の死を知らせる。
    • 女性は夫が猫をかわいがっていたことを話す。
  • P110-113
    • リックに視点が切り替わる。
    • リックはオフィスに戻ってブライアント警視と話す。
    • リックはアンドロイド狩りに出発する。
  • P113
    • リックはポロコフというアンドロイドを追う。
  • P118
    • アンドロイドのレイチェルがリックに同行を提案する。リックは断る。
  • P119-122
    • ポロコフが身分をいつわってリックに近づき、騙し討ちしようとするが、リックはそれを看破して打倒する。
  • P126-130
    • リックがオペラ劇場に着く。
    • ルーバ・ラフト登場。リックは会う。
  • P131
    • ルーバ・ラフトは自分はアンドロイドではないと主張する。リックは彼女を検査にかける。
  • P132
    • ルーバ・ラフトはリックについて言う。「では、あなたもアンドロイドですのね」。アンドロイドを殺す冷酷な性格を指摘している
  • P138-145
    • ルーバ・ラフトはリックを疑い、警官を呼ぶ。クラムズ巡査の登場。
    • クラムズ巡査はリックもブライアント警視も知らないと言う。リックは彼に連行されて知らない警察署に連れて行かれる。
  • P146
    • リックとクラムズ巡査は知らない警察署に着く。
  • P147
    • クラムズ巡査はリックが人間ポロコフを殺した、バウンティハンターを詐称したと主張する。
    • ガーランド警視登場
  • P151
    • バウンティハンターのフィル・レッシュ登場
  • P147-154
    • さまざまなやり取りによって、誰がアンドロイドで誰が人間なのかがあやふやになる
  • P155
    • 骨髄検査の結果、ポロコプはアンドロイドであると判明する
  • P156
    • リックはガーランド警視を検査すると宣言する
  • P158
    • ガーランド警視が自分がアンドロイドであることを告白する。
    • ガーランド警視はフィル・レッシュが偽の記憶を植え付けられたアンドロイドであると主張する。自分を人間と勘違いしている
  • P159
    • ガーランドは言う。「脱走までして地球へやってきても、ここじゃわれわれは動物なみにさえ扱われない。われわれぜんぶをひとまとめにしたよりも、ミミズやワラジムシのほうがだいじがられる」。
  • P161
    • フィル・レッシュがガーランド警視を倒す。
  • P166
    • フィル・レッシュが自分自身に疑念を抱き、リックに検査を依頼する。リックは後にしてくれと言う
  • P168
    • リックとフィル・レッシュは美術館に着く。
  • P170
    • ルーバ・ラフトを見つけて連行する
  • P173
    • ルーバ・ラフトが画集をリックにねだる。リックはそれを買ってやる。
  • P175
    • フィル・レッシュがルーバ・ラフトを倒す。
  • P177
    • リックは言う。「おれはこの仕事から足を洗うよ」
  • P178
    • リックはルーバ・ラフトの死を残念に思う。「あんなにすばらしい歌手だったのに」
  • P183
    • 検査によってフィル・レッシュが人間であることが判明する。
  • P184
    • リックはアンドロイドに対する感情も検査に含めるべきだと主張する。リックは自分と、冷酷なフィル・レッシュは違うと感じる。リックは自分がアンドロイドに感情移入していることに気がつく。
  • P188
    • フィル・レッシュはリックに、女性型アンドロイドとセックスをすることと、それから彼女を殺すことを勧める。
  • P189
    • イジドアに視点が切り替わる。
  • P193
    • プリスが、自分はバウンティハンターに追われているとイジドアに打ち明ける。イジドアは協力したいと願う
  • P200
    • ロイ登場。アームガード登場。彼らはアンドロイドの夫妻である。
  • P218
    • イジドアはアンドロイドたちに協力することを申し出る。
    • リックに視点が切り替わる。
  • P221
    • リックは3000ドルの頭金を支払って山羊を買う。
  • P223
    • リックは妻イーランに山羊を見せる。
  • P225
    • イーランは気分が良くなり、リックにキスをする。
  • P226
    • リックは屋上にとどまるよう言うが、イーランはマーサーと<融合>して気持ちを分かち合いたいと言う。
  • P228
    • リックは妻に正直な気持ちを話すが、妻は夫とまともに向かい合おうとしない。アンドロイドに初めて同情したこと。仕事をやっていけなくなるかもしれないこと。山羊を買った意味。妻の抑鬱の苦しみへの理解。
    • リックは仕事の配置転換を考えていることを妻に打ち明けるが、妻は彼の心情を理解せず、お金の心配ばかりする。
  • P230
    • ブライアント警視が映話をかけてきて、リックに命じる。残り三人のアンドロイドを狩れ。
  • P233-234
    • リックはマーサーと対話する。リックは仕事をやめたいと言う。マーサーは言う。「どこへ行こうと、人間はまちがったことをするめぐり合わせになる。それがーーおのれの本質にもとる行為をいやいやさせられるのが、人生の基本条件じゃ」
  • P236
    • リックは仕事の困難を予感し、自分の死を覚悟する。
  • P236-240
    • リックはレイチェルに映話をかけてホテルに呼び出し、セックスに誘う。
  • P247
    • プリスがレイチェルとそっくりであることが判明する。
  • P256
    • リックはレイチェルと性交する
  • P258
    • アンドロイドの寿命が数年であることが判明する
  • P259
    • リックは、もしレイチェルがアンドロイドでなければ彼女と結婚していたであろうと言う。
  • P262-264
    • リックはレイチェルを殺すと言う。しかし、思い直してやめる。
  • P265
    • レイチェルは言う。リックは一番に山羊を愛しており、二番目にイーランを愛しており、三番目にレイチェルを愛している。そう言ってげらげら笑う。
  • P267
    • イジドアに視点が切り替わる。
  • P267-
    • バスター・フレンドリーが、マーサーは偽物であると主張する。空は書き割りであり、マーサーは俳優である。マーサー教はイカサマだ。<融合>はイカサマだ。
    • イジドアが生きたクモを拾って持ち帰る。
    • プリスはクモの脚を取り去ってクモを嬲る。
  • P281-283
    • イジドアはマーサーと対話する。マーサーは脚を復活させたクモをイジドアに渡す。
  • P286
    • リックとイジドアが邂逅する。
  • P288
    • リックは廃墟ビルに進入する。
  • P289-290
    • マーサーがリックに忠告する。アンドロイドのプリスが階下から、リックの背後を狙っている。彼女を倒せ
  • P290
    • リックがプリスを倒す
  • P292-294
    • リックがロイとアームガードを倒す
  • P296
    • リックは自宅に帰る。
    • リックは妻から山羊が死んだことを伝えられる。犯人はレイチェルだった
  • P299
    • リックは無人の荒野に着く。彼はそこで死を予期する
  • P301
    • リックはマーサーについて考える。マーサーはすべてを受け入れる。マーサーにとってはなにものも異質でない。 しかしリックには自分の周囲のすべてが不自然に思えて仕方がない
    • リックは斜面を登る。彼は苦しむ
    • リックはマーサーの出現を望んで呼びかけるが、マーサーは出て来ない。リックは自分の影法師をマーサーと勘違いする
  • P305-307
    • リックは秘書のミス・マーティンと対話する
    • リックは言う。エンパシーボックスを使っているときはマーサーと一緒にいるという感じがある。でも今回の無人の荒野における山登りでは、リックはひとりぼっちだった。
    • ミス・マーティンはマーサーはまやかしであると主張するが、リックは反論する。マーサーはまやかしじゃない。「おれはマーサーであることをやめられそうにないよ」
  • P309
    • リックは生きた本物のヒキガエルを発見する
  • P312
    • リックは自宅に帰り、ヒキガエルを妻に見せる
  • P315
    • イーランはヒキガエルが模造品であることを、制御パネルを見せて指摘する。リックはそのことに失望を見せる
  • P316
    • リックは言う。「だが、そんなことはどうでもいい。電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも」
    • イーランは夫に、仕事がすべて済んだことを宣告する。
  • P317
    • イーランは夫が帰ってくれたことを嬉しく思い、彼にキスをする。リックはそれを喜ぶ
  • P318
    • リックは眠りにつく
  • P319-320
    • イーランは夫のために、ヒキガエルの餌を注文する(了)

読解

物語は妻との不和で幕を開ける。物語中に主人公と妻の関係性は徐々に改善されていき、最後は妻が夫に示す誠実な愛によって幕となる。

リックは序盤ではイーランと離婚してやろうかとすら考えるのだが、ミッドポイントであるルーバ・ラフトの殺害によってその態度が変化する。きっかけはアンドロイドへの憐れみを覚えたことだ。そのために彼は社会から与えられた仕事であるバウンティハンターへの自信を失くし、救いとして山羊を購入する。また、妻に自分の心境の変化を告白する。妻に助けを求めるわけだ。しかし妻は理解を示してくれない。それでも最終的に無人の荒野から帰還すると妻は心を開き、彼を歓待してくれる。ヒキガエルの一件を通じて、リックが成長したことを確認したからである。リックの成長の度合いによって妻は態度を変えるわけだ。

物語は、事実レベルではアンドロイド狩りが中心軸になって進む。リックがその仕事に励むのは、生きた動物を飼いたいという素朴な望みを持っているからだ。序盤でその切実な様子が示されるので我々読者は興味を持つ。彼の置かれた状況は都会生活者によく似ている。我々現代人は自然から切り離されている。仕事は清潔なオフィスでコンピュータを相棒におこなわれる。仕事相手はリモートに存在しており、息遣いは感じられず、英語で会議をする。彼は母国語から疎外されている。家に帰っても彼が自然に触れる機会はない。仕事で家を空けないといけないから動物を飼うことはできないのだ。彼はYoutubeの中に表示される犬や猫の動画を見て心の飢えをしのぐ。リックはそのような我々にそっくりなのだ。

生きた動物を求める心は、生命を憐れむ思いと遠いところで繋がっている。ミッドポイントを通過すると彼はその心に目覚めて、窮地に追い込まれてしまう。同情はアンドロイド狩りに支障をきたすからだ。この物語における主人公の真の課題は、現実と板挟みになりながらも、そのような尊い心を発展させられるかどうかにある。

ミッドポイントに行く前にくりかえし本物と偽物の区別というテーマが語られる。リックも含めて、一体誰が本物で誰がアンドロイドなのか分からなくなってしまうのだ。このような混乱に読者は恐怖する。これは言ってみれば、結末部分への大事な伏線となっている。結末でリックは、他者が貼る本物・偽物のラベルには意味がないと喝破する。対象を愛するかどうか、憐れむかどうか、生命を尊重するかどうかは、相手の属性によって決まるのではなく、自分の態度のみで決定すべきものだ。とすると上記の混乱は、リック自身がアンドロイド化を経験するということに意味があると思われる。狩られる側の立場になることは、彼の憐れみの心の発展に寄与していると想像されるのである。

マーサーの物語上の意味を考える。融合体験は弱者にとっての救いである。そこで人々はマーサーを中心として他者と気持ちをわかりあえる。イジドアとイーランは融合が好きだ。しかしリックはそれを拒む。リックは弱者でいたくない。彼は成長したいので融合体験を好かないのである。物語はそのような弱者の救いとしての融合の在り方をおとしめる。バスター・フレンドリーがマーサー教はイカサマであると主張し、多くの人がそれを信じるのだ。しかしリックにその効力はおよばない。彼は廃墟ビルでアンドロイドにつけねらわれた時に、マーサーの助言に救われている。このことは注目に値する。さらに彼は終盤の無人の荒野で、自身がマーサー的な存在になる。彼にとって重要なのはマーサーから救いを与えられることではないのだ。むしろ、他者に救いを与えられる存在に成長することを希望する。それがリックという男の在り方なのだ。

イジドアは弱いリックである。リックがレイチェルというアンドロイドとペアであるのに対し、イジドアはプリスというアンドロイドとペアだ。そしてこの二人のアンドロイドは顔がそっくりであるという形で繋がっているので、これらのペアに物語上の関係性があることは容易に分かるであろう。リックは成長して憐れみの心を獲得するために、対象であるアンドロイドと、何らかの意味で同じ立場にならなければならない。その象徴的なおこないとして彼はレイチェルと性交する。リックはレイチェルを通して何事かを得る。しかしイジドアは逆である。彼はアンドロイドに協力を申し出るので、ある意味においてはアンドロイドと対等の立場になるのだが、それは「弱い」対等の在り方である。本作の倫理観はそれを断罪する。イジドアはプリスと結合できず、彼女や住居を失ってしまうのだ。