僕は『高野書店』という短編で話中話を無理やり改造してみせた。正道ではなく邪道の話中話をそこではくりひろげた。
僕は話中話という構造に興味がある。それを縦横無尽にあやつりたいという願望がある。しかしもう邪道をやりたいとは思わない。同じことを二度やってもつまらないからだ。
話中話をあつかう方法は色々ある。たとえば人に話中話をそのまま語らせるというのは代表的な手法だろう。僕は『夜の徘徊者』ではこの手法をとった。
ちょっと凝ったものになると、話中話を直接語らずに伏せておいて、主にその影響を語るというやり方がある。村上春樹の『1Q84』では前半はこうしたやり方がとられた。「空気さなぎ」の社会的な影響や批評などがそこでは語られた。ただある程度話が進むと「空気さなぎ」のあらすじが小説内でも語られた。
他に僕が知っているのは、登場人物が話中話を物語り、他の登場人物がそれへの反応を示すという語り方である。この手法は映画『スタンド・バイ・ミー』でとられた。ゲロを吐く話を主人公が語り、他の三人の男の子がそれぞれ異なった反応を示して見せた。その妙が面白かったのである。
他に思いつくものだと、質問をする、というのがある。登場人物が話中話を物語り、それに対して聞き手が質問をする、というやり方がありうる。これは我々が日常会話でよくやっていることだと思う。他者が「こういうことがあってさ」と話したことに対してあれこれ質問をするということを僕らはいつもしているだろう。
あるいは時を経るうちに話中話が変化する、というのも面白いかもしれない。これについては具体的なアイデアは今の僕にはないが、不完全な話が完全になっていくのでもよいし、あるいは話中話の内容は変わらずに評価だけが変わってもよいし、または話中話の内容がまるっきり変化してもいいだろう。
色々述べてきたが、この記事には特に結論はない。これは何というか、ブレインストーミングのような記事なのである。とりあえず思いついたことを俎上に載せてみただけだ。
