僕が最終的にやりたいのは物語を十全に語った物語だ。物語の生態というべきものがそこでは明らかにされるだろう。それも説明的に物語とは何かを語るのではなく、物語が生まれてからどのように発展していき、他の物語とどのように結合したり衝突したりするのか、そして終焉を迎えるのか、ということを描きたいと思っている。つまり物語を主人公とした物語を書きたい。そういうことを計画している。
現代日本においては、人々に自明のものとして与えられる物語は数少ない。特に人が生まれてから死ぬまでのあいだに正しさを保ち続ける物語はほとんど存在しないと言っていいのではないだろうか。変わらないのはそれこそ「人を殺してはならない」とか「物を盗んではならない」とかいった一般道徳ぐらいのものだろう。一方で社会の規範や経済の状態や政治情勢はたえず変化し続ける。流行のコンテンツは変遷し、世をにぎわせた有名人は死んでいく。いまや日本は一切が流転し、何ひとつとして心を落ち着かせる場所が見当たらない世界になってしまった。そういう過酷な状況を我々は生きているのだ。
そうした中で追究すべきことは、物語の法則性だ。変化にも法則があるということを人々に示し、真に問われるべきものとは何か、いかなるときでも保たれるべき最低限の倫理とは何かを明らかにすることだ。僕が僕自身に課す作家の役割とはそれである。
僕がこのブログでひたすら文学とは何かを研究しているのも、そういう未来に向けた基礎工事なのである。
たとえば影と鏡像のテーマは、ある物語がそれに反対する物語と出会ったときに、相手を吸収できるかということと深く関わっている。十分に大きな倫理観や母性を保つとき、物語は自分の影である物語を吸収して、合体できるというのが僕の考えるところである。
