『チェンソーマン』第一部を読む

藤本タツキの漫画『チェンソーマン』について書く。

物語の中心軸

物語はマキマとデンジの関係性を中心に進行する。それ以外の登場人物はすべてこの中心軸に寄与するためのサブキャラクターに過ぎない。デンジにとってマキマは恋人であり母親である。同時に上司であり、巨大な敵でもある複雑な存在だ。物語の序盤でデンジはマキマと出会いその庇護下に入るのだが、最後にはマキマを倒してその支配から脱する。そこで物語はエンディングを迎える。

搾取と支配

デンジは第一話ですでに搾取されている。彼は借金まみれで働いており、食べる物にも困っているぐらいだ。彼を搾取する立場のヤクザの老人はこう言う。「それにデンジのいいトコは逆らわねえトコだ」。「デンジよぉ…。俺達ぁテメエに感謝してんだぜ。犬みてえに従順だし、犬みてえに安い報酬で働いてくれる」。つまりデンジは搾取されるのにふさわしい性格をしているらしい。

このようなデンジの性格はその後もひきつづき語られる。彼は自分をバカだと認めており、開き直っている。彼は食事に執心し、また性欲のような本能的な欲望にしか興味を持たない。これはデンジがあえて物を考えないようにと努めている証左である。自分で考えず、人から指令を与えられるのを待っているのだ。

2話でマキマはデンジに命令する。「忘れたの? キミは私に飼われてるんだよ。返事は『はい』か『ワン』だけ。いいえなんて言う犬はいらない」。犬という単語は本作でくりかえし登場する。支配や搾取といった構造が中心のテーマにあるという事が、序盤ですでに示されていると分かる。80話でデンジはマキマの犬になりたいと発言している。81話で犬になりたいとはどういうことかと彼はマキマから問われる。そこで主人公はこう答える。「俺…もう…自分で何も考えたくねーです…」。「マキマさんは俺より頭がいいでしょ? だったらマキマさんの言う事黙って聞いてりゃ考えなくていいし…」

その後92話まで物語が進行して、ようやくデンジは自分が支配され搾取されてきたことと、その弊害に気がつく。

「こう見えてもいま俺はな、俺ん心はなあ、糞詰まったトイレん底に落ちてる感じなんだぜ。今までの良い思いも悪い思いも全部…全部が他人に作られたモンだったんだ。俺は最高にバカだからバカみてえにと暮らしてたんだけど気づいてみりゃあバカのせいで全部ダメになってたんだ。
 今思えば俺はなーんにも自分で決めてこなかったな…。誰かの言われるがまま何も考えねえで使われてさ…。決めてたのは昼飯になに食うかくらいでよ。
 これから生き延びれても俺はきっと…犬みてえに誰かの言いなりになって暮らしてくんだろうな」

こうした搾取というテーマは、体の各部を売り払うという表現でも示されている。デンジは物語の開始時点で目玉や腎臓や金玉を売り払っている。また姫野を代表としてさまざまな人物が、自分よりも強力な存在である悪魔に体を譲り渡している。体の喪失は絵として直接的に表現されるので、読者の受けるショックは大きい。

以上のすべての議論を反省して再び第一話を見ると、『チェンソーマン』の物語を語る上でとても大切なことが示されているのが分かる。デンジは、「犬」、つまり搾取される側の見た目をしたポチタと対等な約束をしているのだ。「お前を助けてやるから…俺を助けろ。やっぱ俺も死にたくねえ…」。デンジの長所は犬を犬として扱って虐げないところにある。彼は犬を自分と対等の者として扱う。そういう優れた倫理を備えた男なのだ。その報酬として彼は大きな力を得る契約をポチタと結べたと考えると、得心がいくのである。

普通の夢

デンジに明確な目標は存在しない。彼はただ普通になれればよいのだと主張する。まともな食事をして、風呂に入り、壁と屋根のある所で睡眠が取れればそれでいいのだ。彼は長い間ドン底の生活を送ってきたため、普通のことがすでに「高い」目標なのである。

9話でヒルの悪魔があらわれてデンジを喰らおうとするが、その時にデンジはアキや警察官やパワーを指して「みんな偉い夢持ってていいなァ!!」と皮肉を言う。彼は悪魔に夢バトルなるものをもちかける。「俺がテメーをぶっ殺したらよお~…! てめえの夢ェ! 胸揉む事以下な~!?」

彼は「普通」の存在が持つ「高い」夢に皮肉を言っている。もし目標と現在の自分の位置の差異だけが問題になるのなら、低俗な目標だって充分「高い」目標のはずであると彼は主張したいわけだ。なぜならデンジはドン底にいたのだから。

そのような状態が長く続くが、最終的に92話において、デンジは明確な高い目標を持つようになる。テレビが報道している通りの格好いいヒーローになりきり、ステーキを食べまくり、彼女をたくさん持ち、セックスをしまくることを目標に据えるのだ。

しかしそのためにはデンジはマキマを倒さなければならない。

家族と復讐

本作では家族はネガティブな物として扱われている。家族との繋がりを大切に思っている者の多くが悲劇的な末路をたどる。

その代表がアキだ。後半でアキの子供の頃の回想が描かれ、彼が両親や弟と仲睦まじい様子が語られるのだが、家族を銃の悪魔によって殺されたことにより、アキは復讐の鬼と化してしまう。その結果として彼は悪魔の力を使いすぎて、寿命が残りわずかな所まで追い詰められてしまうのだ。彼はさらに、デンジやパワーのことを新しい家族も同然に思って行動に出るのだが、それが裏目となって表れて、不幸な死に方をするばかりか、大切に思っているはずのデンジに大きなトラウマまで残してしまう。

姫野もバディであるアキを大切に思うあまり、自分の体をすべて悪魔に捧げるという決断を下して死ぬ。

また荒井がコベニを庇って死ぬ点も見逃せない。荒井は飲み会で嘔吐するデンジを介抱するのだが、そのときに仕事帰りの酔った母親をよく介抱していたことを言うのだ。荒井はそれを懐かしい思い出として吐露した。つまり彼は親にプラスの感情を抱いている。コベニはそれとは真逆だ。彼女は一見家族に奉仕しているように見えて、実は悪感情を抱いている。15話でこのような会話がある。

荒井「デビルハンターやって兄を大学に行かせたいんだろう!?」
コベニ「半分無理やりなんです……。親が優秀な兄だけは大学に行かせたいからって私に働かせたんですう~…。風俗かデビルハンターしか選択肢なかったんですう~! 私も大学行きたかったんですう~!!」

つまり家族を大切にしている荒井は死んで、憎んでいるコベニは生き残るのだ。

さらに、92話でデンジとともに避難したコベニは岸辺に問う。もう家族とは一生連絡をとれないのか? そうだと肯定されてコベニは「よかった」と言う。父と母から離れる理由ができてよかったと言うのだ。このコベニの発言をヒントにしてデンジは初めて本格的にマキマの支配から脱することを考える。つまりコベニは物語の中心において、主人公をプラスの方向に動かす力を持っているのである。

作者はこの作品において、家族というものを個人の自由な意思を殺す存在として書いた。

以上の議論をもとにして復讐ということを考えてみる。家族を殺されて復讐をするというのは、簡単に言えば、死んだ人間の怒りと意志を代行するということである。つまりそこに自分の意志はない。他人に頭を乗っ取られているようなものだ。それは本作の最終目標である、支配を脱して自由になるという方向性に背いている。だから家族は悪として扱われる傾向にあると考えると得心がいく。

マキマの打倒

マキマは最強の存在である。彼女は自分より程度の低いと思った者を支配下における。それで彼女は多数の悪魔をしもべとしてデンジにぶつける。いくら傷つけても、内閣総理大臣との契約によって他の者へダメージを転嫁できる。こうした設定上の強さに加えて、マキマは心理的にも完全にデンジを掌握している。彼女は言ってみれば万能の親である。何でもできる権力を保持している上に、デンジに愛情を与える。デンジはそれを受け取って傷ついた心を癒やしさえするのだ。彼はそのような女を倒さなければならないが、できずに苦悩する。マキマがもしも鉄壁の存在としてデンジに強固に反対するなら、彼もぶつかっていくことができるだろうが、彼女はむしろ優しく彼を包み込む。デンジもまたマキマが好きなので、反抗できない。にっちもさっちもいかないのだ。

しかしそんな最強の存在にも倒す術は存在する。それは、こちらからマキマを見限ることだ。

デンジはマキマを倒した後、公園で岸辺に次のことを言う。

「俺はね賭けたんですよ。マキマさんが俺じゃなくてずーっとチェンソーマンしか見てない事に…。俺ん事なんて最初から一度も見てくれてなかったんだ…。」

これは言い換えると、マキマはありのままのデンジではなく、自分の理想像をデンジに見いだしていたということを意味する。デンジはそれを悟り、彼女の愛を拒否する。するとあっさりとマキマは倒されるのだ。

アキ

デンジを除くと作中で最もドラマが多いのはアキである。彼はデンジと同性であり、マキマを好んでおり、その部下についている。彼はデンジと非常に強力な糸で結ばれており、ほとんど運命共同体のような人物である。

二人は対照的だ。デンジがタフで物を考えず、頭のネジが外れているのに対して、アキはまともな性格をしている。繊細な男なのだ。またアキはデンジと違いまともで幸福な家族を持っていた。彼はもともと普通の位置にいたのが、悪魔によって不幸に落ちてしまった人間である。その結果として公安にいる。一方デンジはもともとドン底にいたのが、地位が向上して公安の職に就く。そのような、出身位置と運動の差異が二人にはある。またアキは復讐を原動力としているのに対して、デンジは仲間が死んでも復讐に興味がない。ここらへんも対照的である。

アキは、デンジがまともでないから、その代理としてまともな苦悩を受け止めているのだと捉えると納得が行く。アキはデンジの、ありえたかもしれない別の可能性なのである。アキの死によって二人のキャラクターは合流する。そこでデンジは最悪の殺し方をしてしまい、家族であるアキの喪失に深いショックを受けるのだ。言い換えればデンジもまたアキ的なキャラクター性を獲得するわけである。

パワー

パワーはデンジをそのまま女に焼き直したようなキャラクターである。アキよりもむしろパワーの方が、同性の兄弟とか友達にふさわしい。パワーもまたデンジ同様、物を深く考えない、食事に執心するなど、多くの共通点がある。

ただしデンジが組織の言いなりになるのに対して、パワーは反抗的である。彼女は個人の自由を大切にしている。だから猫を飼うのだと捉えられる。マキマが従順な犬を飼っているのに対して、パワーは猫なのだ。

91話でパワーはデンジのことを友達であると明言し、血を与えて死ぬ。この血を力に換えてデンジはマキマを倒す。大切な友人の自己犠牲と、マキマの支配構造の看破。この二つがあったからこそ、デンジはマキマを倒せたのである。

母性の発展

デンジは母性の萌芽を宿した少年である。だから衰えた犬であるポチタを保護するし、一般人のことも助ける。また何でも受け入れることの表象として、何でもよく食べる。サムライソードがまずいと言い切るラーメンも、彼にとってはおいしいのだ。たとえ悪魔でも、友達になれるならなりたいものだとも彼は言っている。

デンジはマキマとの最終決戦において、糞映画がなくなるであろうマキマの世界は受け入れられないと言う。デンジにとって、弱い存在、唾棄すべき存在を殺すことは、赦されないことなのだ。彼はそのような微小な存在も手のひらにすくい上げたいと願う。それは「抱きしめる」という所作に表れる。デンジは脆弱な存在であるポチタをよく抱きしめていた。また、マキマとのデート時に彼が感動していたのも抱擁のシーンであることは見逃せない。

このような母性は、最終的に子供であるナユタを育成する役割に就くという形で発展を見せる。デンジはマキマの肉を食することで、悪しき母性を消化し、力に換えて、善なる母性を成長させたのだと見て取れる。

ちなみにパワーは偏食であり、野菜を嫌う。彼女は56話で野菜のことを言及して「大地の味がする」と言う。大地イコール母性と捉えると、パワーは母性が苦手なのかもしれないとも思う。

自由

デンジは復讐に執心しない。アキが死んだときデンジはひどく悲しみ、喪失感を抱きはするのだが、マキマに復讐しようという発想にはならないのである。デンジは自分の願望と他者の願望を明確に区別している。

彼は最終的にマキマの支配から脱するし、自分の願望もはっきりと自覚する。一人の少年が個人としての強い自我を確立させるのが本作の最終地点である。

寄生獣からの影響

寄生獣からの影響が認められる場面が二点ある。

29話でデンジはアキが泣いているのを知って、自分は誰が死んだら泣くのだろうかと想像をする。ポチタが死んだときは悲しかった。しかしそれ以外では誰が死んでも悲しくないだろう、すぐに立ち直るだろうと彼は考える。そこで彼はこう考える。

「心臓だけじゃなく人の心までなくなっちまったのか…?」

似たようなシーンが『寄生獣』という漫画にもある。主人公シンイチは母親に取り付いた寄生獣から攻撃を受けて死にかけるのだが、ミギーの助けによって回復する。その際にミギーは少し自分の体とシンイチの体が混ざってしまったことを言う。それでシンイチは、後に自分が薄情になっていることに気づき、頭まで乗っ取られてしまったのではないかと疑うのだ。

マキマを倒す場面も似ている。『寄生獣』でシンイチは最強の敵・後藤を倒す際に、決定打となる攻撃をミギーなしで行うのである。つまり完全に人の状態で後藤を倒したと言える。マキマをデンジが倒す場面においても、デンジはポチタの心臓を失っており、人のままやっつける。