『グレート・ギャツビー』を読む

グレート・ギャツビーの実質的な主人公であるジェイ・ギャツビーは、典型的なドン・キホーテ型の主人公である。ドン・キホーテが騎士道物語という魔法を信じていたように、彼もまた若い頃の恋愛という魔法を信じている。ドン・キホーテが鎧を着込んでいたように、彼も派手な色のスーツや壮大な屋敷、夜毎のパーティといった装飾を身に纏っている。滑稽に映る点も同じだ。彼とデイジーが再会する場面では、前半には彼の滑稽さが表現されている。最後は己の信じている物語に殉じて死ぬ様もよく似ている。

差異は、その無邪気な純粋性と感傷にある。そのためギャツビーの滑稽さは、確かにあるとは言え、ほどほどに抑えられている。結果として彼とデイジーが再会する場面は、後半は何よりも微笑ましく幸せな光景として我々の目に映る。

 「英国に、私のために服を買い揃えてくれる男がいてね。シーズンの始めに、ひととおりのものを選んで、こっちに送ってくれるんだ。春と秋に」  

 ギャツビーは一山のシャツを手にとって、それを僕らの前にひとつひとつ投げていった。薄いリネンのシャツ、分厚いシルクのシャツ、細やかなフランネルのシャツ、きれいに畳まれていたそれらのシャツは、投げられるとほどけて、テーブルの上に色とりどりに乱れた。僕らがその光景に見とれていると、彼は更にたくさんのシャツを放出し、その柔らかく豊かな堆積は、どんどん高さを増していった。縞のシャツ、渦巻き模様のシャツ、格子柄のシャツ。珊瑚色の、アップル・グリーンの、ラヴェンダーの、淡いオレンジのシャツ。どれにもインディアン・ブルーのモノグラムがついている。出し抜けに感極まったような声を発して、デイジーは身をかがめ、そのシャツの中に顔を埋めると、身も世もなく泣きじゃくった。

「なんて美しいシャツでしょう」 と彼女は涙ながらに言った。その声は厚く重なった布地の中でくぐもっていた。「だって私――こんなにも素敵なシャツを、今まで一度も目にしたことがなかった。それでなんだか急に悲しくなってしまったのよ」

スコット・フィッツジェラルド著 村上春樹訳 『グレート・ギャツビー』

ラストの差異は特に注目に値する。ドン・キホーテの死にざまと作者の「騎士道物語を打倒するという私の目的は達せられた」というメッセージはどうにも読者の頭に大きな混乱を呼び起こすのに対して、ジェイ・ギャツビーの死にざまはむしろ逆で、己の夢という魔法の魅力を、首尾一貫した形で読者に提供することに成功している。「ギャツビーは緑の灯火を信じていた」というのがそれだ。ジェイ・ギャツビーは己の命を捧げることによって、信じる夢の力を永遠のものにしたのである。