コスタリカ307

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『ノルウェイの森』を読む 1

村上春樹の『ノルウェイの森』を二回読んだ。様々なテクニックが盛り込まれた作品だと思うのでそれらを本記事で読み解いていく。なお引用時に示したページ数は講談社の文庫版にもとづいている。

 歌詞との関連

ビートルズの曲について歌詞のくわしい解説がこちらのページにあったので、参考にさせてもらった。

ameblo.jp

曲の歌詞は本小説と以下のように関連している。

  1. 一度仲良くなった女性に、結局は袖にされてしまう。
  2. 「部屋に招き入れる」という行為は包含関係の構造とかかわりがある。
  3. 鳥が去ってしまうという歌詞をヒントにした表現が小説中に見られる。

2は後で述べる。

1はこの小説を読んだ人にとっては解説するまでもないだろう。メイン・ヒロインである直子は一度主人公と恋人のような関係になるのだが、結局は主人公の求愛をふりはらって自殺してしまうのである。

3だが、注意深く読むと、直子といる時は鳥は飛び去っていくのに対して、緑といる時は鳥は電線や木などに止まっていることが多い。直子は死んで現実の世界を離れていくのだが、もう一人のヒロイン・緑はそうではないのである。

  • 直子といる時
    • 上巻P9 「まっ赤な鳥が二羽草原の中から何かに怯えたようにとびあがって雑木林の方に飛んでいくのを見かけただけだった。」
    • 上巻P190 「まわりの林の中で時折ばたばたという鳥の羽ばたきのような音が聞こえた。」
  • 緑といる時
    • 上巻P125 「校舎にはつたが絡まり、はりだしには何羽か鳩がとまって羽をやすめていた。」
    • 上巻P163 「どこかからやってきた二羽の鴉が電柱のてっぺんにとまって地上の様子を眺めていた。」

このような表現を積み重ねていくと、次の引用に見られるような複雑な表現が可能になる。これは上巻のP267-268から引いたもので、阿美寮に来た主人公が直子と会ったあとに見た夢の描写である。

そして僕は柳の夢を見た。山道の両側にずっと柳の木が並んでいた。信じられないくらいの数の柳だった。けっこう強い風が吹いていたが、柳の枝はそよとも揺れなかった。どうしてだろうと思ってみると、柳の枝の一本一本に小さな鳥がしがみついているのが見えた。その重みで柳の枝が揺れないのだ。僕は棒きれを持って近くの枝を叩いてみた。鳥を追い払って柳の枝を揺らそうとしたのだ。でも鳥は飛びたたなかった。飛びたつかわりに鳥たちは鳥のかたちをした金属になってどさっどさっと音を立てて地面に落ちた。

ここでは直子と会っているにも関わらず鳥は止まっている。つまり本来とは逆が描かれているため、注意深く読んでいる読者は「これは一体どういうことだろう?」と思うのだが、その後の描写が直子の心の病的な硬直性を説明しているので、かえって得心がいくのである。このような表現は直接的な描写よりもはるかに効果的に読者の心へ訴えかけるものだ。

なお螢のエピソードも鳥が飛び去っていくという表現と一部重なっている。一つの型をすこしずつ形を変えて何層も重ねていくと、文章の力はより増す。

 色の意味

赤色は危険・死・異界を、緑色は安全・生命・現実世界を意味していることが多い。

次に例を挙げる。

  • キズキは主人公とビリヤードを遊んでから赤い車の中で死ぬ。つまり生きている間は緑(ビリヤードの盤の色)だったのが、死ぬ時は赤に移行するのである。
  • 緑と直子という二人のヒロインは対照的に描かれているが、生命力のある緑の方に「緑」という名前がつけられている。
  • 緑が主人公に対して、生理の時は気が立っていて危険だから、サインとして赤い帽子をかぶると言う。
  • 主人公がきゅうり(緑色)を食べているのを見て、物を食べるのを拒否していた緑の父親もきゅうりを食べたがる。この場面は肯定的に描かれている。主人公は緑の父親に好感を持つ。緑もまた主人公に好感を持つ。
  • ハツミの死が語られる箇所の直前に、世界が夕日によって一面赤く染まった様子が描かれる。
  • 下巻P200 桜の花が死にゆく肉体を表すものとして、緑の芽がそこからの再生として表現されている。

ただし後述する包含関係の示唆にのみ使われているケースもあり、いつもこの意味が付与されているとは限らないので注意が必要だ。たとえば上巻P193で主人公は直子のいる阿美寮に初めて足を踏み入れていくのだが、「本館」に入ってすぐに、受付にいる「赤いワンピースを着た若い女性」と遭遇する。この人物は物語に何の関係もなく、また文脈から言って危険・死・異界などを意味していない。したがってここでの赤色は、含む・含まれるという構造を示唆するだけにとどまっていると捉えた方が賢明だと思われる。周りは森という緑色に囲まれており、その「内」に主人公は赤という色を見つけるのである。

さらに言うと、何の意味もないケースもある。下巻のP196で主人公が郵便受けに赤いペンキを塗るのだが、ここは何の意味もないように思う。よくよく考えてみれば我々の周囲にあるほとんどすべての事物には色がついているのだから、意味を付与できない場合があるのも仕方がないだろう。主人公が飲むコーラはペプシ・コーラであるとわざわざ明記されている箇所があるが、これは赤や緑といった色を避けるために書かれているのではないだろうか。ペプシのロゴのページ http://www.pepsi.co.jp/history/logo.html を見ると、1962年のペプシのロゴには赤・黒・青がバランスよく混じっているので、赤を強調するのを避けることができる。コカ・コーラではそうは行かなかったろう。次のURLはコカ・コーラのロゴの歴史である。 https://www.cocacola.co.jp/stories/logo01

要するに色の意味にはあまり強い法則性がないので、分からない場合は素直に通り過ぎた方がいい。このブログでくりかえし解説してきた『1Q84』という小説には構造や法則に一貫性があり、ぶれることがないのだが、『ノルウェイの森』はけっこういい加減なのである。

ちなみに白色にも意味が付与されており、それは死んだ後の状態を表す。たとえば序盤で語られる井戸の底の白骨。もちろん死後に長い時間が経過しなければ白骨にはならない。また、直子の姉が自殺した時に身につけていた白のブラウス。ここで直子は姉が死んだあとにその遺体を発見している。そして何よりキズキの死後に、彼の机の上に置かれた白い花がある。また主人公が阿美寮から帰還した後に、白いポールを白骨のようだと表現している箇所がある。(下巻P43)

黄色にも意味が付与されているのかもしれないが、私にはよく分からなかった。阿美寮の人達が黄色い雨合羽を来て外を歩いているのを魂に喩えているところがあるが、これだけではいまいちはっきりしない。

なお小山鉄郎によると青は村上春樹作品のなかで「歴史」を意味することが多いらしいが、『ノルウェイの森』においてもそのような意味が盛り込まれているのかどうかは、私にはよく分からなかった。

次の記事に続く。

riktoh.hatenablog.com