コスタリカ307

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『ロング・グッバイ』の三人の医者

 三人の医者を評価するマーロウ

『ロング・グッバイ』の主人公である私立探偵のフィリップ・マーロウは、作中で三人の医者に会いに行く。彼らの内のいずれかが、捜索を依頼されたロジャー・ウェイドという作家をかくまっている疑いが強かったからだ。

マーロウは順にヴェリンジャー、ヴュカニック、ヴァーリーという医者を訪ねる。この中でもっとも文章量が割かれているのはヴェリンジャーである。ハヤカワ文庫の村上春樹訳の場合、順にページ数は14P、9P、6Pとなる。その後マーロウは再びヴェリンジャーを訪ねてウェイドを見つけ出すのだが、ヴュカニックとヴァーリーはその後まったく登場して来ない上に、そこを訪ねて行った結果何か手がかりを見つけた訳でもないので、この二人を訪ねるシーンはまったくの無駄であるように思われる。

しかし本当はちゃんと意味がある。実はこの医者を訪ねるくだりが理解できると、『ロング・グッバイ』全体の物語の流れも理解できるようになっているのだ。

ヴェリンジャーにはアールという家族がいて、彼を庇護している。アールは精神の安定を欠いていて、時にヴェリンジャーにさえ暴力を振るう。しかし詳細は分からないものの、どうやらヴェリンジャーはかなりの犠牲を払ってアールを保護するよう努めているようである。そのやり口には汚いところもあるが、ヴェリンジャーは少なくとも留保のない悪として描かれている訳ではない。

次におとずれるヴュカニックはみすぼらしいビルに診療所を構えているものの、実際は麻薬の売人である。彼はそのことをマーロウに突かれると平静さを失う。そこでいったん別の部屋にひっこんで、自分に注射して気を大きくしてからマーロウに対処する。彼は小物の悪、といった感がある。

最後におとずれるヴァーリーは一見愛想のよい医師で、「豊かで柔らかな」、かつ「苦痛を癒し、心の不安をなだめる」声を持っている。だが実は財産のある老人達をなかば監禁して、その親戚達から多額の謝礼を受け取るという仕事をしている。老人達はすでに衰弱しており物事を判断する能力がなく、「死人のにおいがする」。ヴァーリーは医者というよりは、さながら死神のようである。

上記のくだりの中で注目すべきなのは、マーロウが一人一人について価値判断をおこなっている、ということだ。彼の倫理観では、高い方からヴェリンジャー、ヴュカニック、ヴァーリーの順番に評価される。ヴュカニックは医者としてクズだが、ヴァーリーのいる地点はまさに極北であり、さらに荒廃した場所である。まともな人間は、そこに一分たりとも長居すべきではない。これらに対してヴェリンジャーは少なくとも、家族でもあり同時に患者のようでもあるアールを、保護しようと努めている。ウェイドにうるさく金を要求したりもするが、まだ救われるべき存在として描かれているのだ。

そしてマーロウはこれらの価値判断を三者におこなった上で、結論としてウェイドの居場所はヴェリンジャーの所だと突き止める。これは一体どういう意味を持っているのだろうか。

これはおそらく物語という観点から見れば、マーロウの求めるウェイドという人物はまだ救われる可能性のある人間だ、ということになると思われる。捜索を依頼された時点でマーロウは、ウェイドがアルコール依存症であることをすでに知らされている。そこでマーロウが探しにいったのは、実はウェイドの地理上の位置ではなかった。そのようなろくでもない人物が魂の価値という座標軸上において、一体どこに位置しているのか、ということを探しに行ったのだ。そのような一本の物差しを作成するために、作者・チャンドラーは三つの点を必要としたのである。

しかしこれだけではすべてを説明していることにはならない。やはり「率直にウェイドを救われる可能性がまだ残っている人間として描けばよいのではないか」という疑問が、解消されないからだ。

そこで私が言いたいのは、作者であるレイモンド・チャンドラーにも、この三人の医者を訪ねるくだりを書きはじめた時には、どこにウェイドがいるのか分からなかったに違いない、ということである。

チャンドラーの前にあるのは闇である。彼は、素手ではそれを照らせない。身を削って文章という明かりを作り出した時にのみ、彼は少しだけ正しい領域を確保できる。チャンドラーが作り出しているのは「地図」である。その地図にはどこが危険で、どこが正しいルートなのかが書いてある。しかしそれを発見するためには試行錯誤が求められた。正しいルートを確認するだけでは駄目なのである。実際に危険地帯の手前まで行って、見てから引き返さなければならない。そこでようやく地図は完成し、我々の求めている善なる目標が何であるかが明らかになる訳だ。この作品は、そのような運動の軌跡なのである。まさに文字通りの意味で「跡」なのだ。だから我々が『ロング・グッバイ』を読んでいる時は、チャンドラーの格闘が一本のビデオ・テープのように心の中で再生されるはずである。『ロング・グッバイ』が実は筋書きの割にはけっこう分厚い小説なのは、このような見地に立つことで自然と了解されるはずだ。本来なら無駄であるその部分に寄り添うことで、我々は慰撫され、励まされ、又さまざまなことを学んでいくだろう。

 作品全体の構造

最後に、作品全体の構造について言及しよう。『ロング・グッバイ』にはさまざまな男女のカップルが登場する。レノックス夫妻、ウェイド夫妻、主人公フィリップ・マーロウとリンダ・ローリングなどである。テリー・レノックスもアイリーン・ウェイドも金のために結婚して、何か大事なものを失ってしまう。彼らの結婚生活も、人生も破綻してしまう。見るべきなのは、そのような事件を通過した「あとに」リンダ・ローリングがマーロウの所にやってくるということだ。リンダはマーロウに求婚する。裕福でないマーロウにとって、その申し出は魅力的なもののはずだ。しかしマーロウはためらわず断る。彼はすでに悪しき道を見てきたので、正しい道の方を選択することができたのである。ここでも三つの点をとって一つの物差しを作り、それから選択を行うという構造が見受けられる。したがって三人の医者のくだりは、作品全体の輪郭と相似形と言えるだろう。

「ねえ、私たちってそこそこお似合いだと思わない?」と彼女はからかうように言った。「私には大きな財産があるし、それはまだまだ増えていくと思う。あなたのために世界を買ってあげることもできるわ。もしそんなものに手に入れるだけの価値があるとすればだけど。 それに比べて、今のあなたは何を持っているの? うちに帰っても誰が待っているわけでもない。犬や猫すらいない。 ほかにはみすぼらしいちっぽけなオフィスがあって、そこに座ってお客が来るのを待っているだけ。もし私たちの結婚がうまくいかなかったとしても、二度とそんな生活に戻らなくていいようにしてあげられる」
「戻るか戻らないかは自分で決める。テリー・レノックスとは違う」

レイモンド・チャンドラー著 村上春樹訳『ロング・グッバイ』)